「子宮頸がん」が治癒に向かう

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沖縄県  T・Mさん(69歳、女性)

〔岡田式健康法との出合い〕

 私は、昭和59年3月、MOAの会員になりました岡田式健康法には、生体エネルギー療法の浄化療法、農薬や化学肥料を使用しない自然農法食事法、芸術活動としての美術文化法があります。
 母も会員の資格を得て活動していました。人びとの健康を願って活動していた母の姿に心を動かされ、”私も母のようになりたい”との思いからでした。
 そして、美術文化法としてのいけばなと茶の湯、食事法としては自然農法で生産された材料を使った食事を取り入れ、その大切さを地域の人々にも伝えてきました。

〔岡田式浄化療法への目覚め〕

 岡田式浄化療法に対する自分の思いが変わる大切な出来事がありました。
 それは、入会してから10年ほどして、書道家で剣道家でもあった父が脳梗塞を発病したときでした。言語障害で言葉も出ず、顔や身体に麻痺が起こり、大好きな書道と剣道もできなくなってしまいました。あの素敵な父から凛々しい姿が消え、私はつらい思いになりました。
 父は病院での治療も受けていましたが、母は、自らの足の痛みが浄化療法で改善したこともあり、父にも浄化療法を受けてもらいたいと思い、沖縄市にあったMOA中部センターに私と妹の二人で連れていくことにしました。
 そこで、父が一時間半ほど浄化療法を受けて帰るとき、「帽子を取って…」と、はっきりした口調で言ったのです。私は父の声にびっくりし、涙の出るほど感動と感謝でいっぱいになりました。
 その時を境に父は元気になっていき、書道展を開いたり、剣道もしたりして、楽しく過ごすようになりました。
 私は、その出来事がきっかけで、岡田式浄化療法の効果を深く実感することができました。
 そして、父の感動的な改善のこともあって、地域の方々の健康を願って、さらに積極的に行動しよう思い、勤めていた会社を辞め、新たに始めた服飾デザインの仕事も一旦止めて、父の故郷のU市で岡田式健康法のボランティア活動を始めました。
 その時、最初に訪ねたのは、知り合いのYさんが公民館で市民対象に開いていた料理教室でした。
 その日、Yさんから「Tさん、料理教室やってくれませんか?」と言われたのです。そこには、中学2年生のときに「脳梗塞」を患い、その後遺症のため体が不自由の25歳の女性も参加されていました。その姿に父との思いも重なって、岡田式健康法をもって”こういう方々のためにも頑張ろう”と思い、引き受けることにしました。
 そして、MOAが提供している、安心安全な食材を使用した食の重要性もお伝えするようにし、「健康家族応援処 ふるさと食道」もU市に開店しました。
 美術文化法では、お花については少年院に継続していけこみに行き、自宅にはお茶室もあるので、地域の方々に茶の湯も楽しんでもらうようにしました。
とくに食については、U市の企画課が関心を寄せてくださり、「NPO食健うむさん会」を立ち上げてくださいました。
 「うむさん」とは、”おもしろい”という意味です。そのうむさん会を大切にし、地域の特産物になっている自然農法で生産したの「山城茶」「もずく」の販売を通して食の大切さを伝える活動を進めています。

〔末期の子宮頸ガンと告知される〕

 平成24年8月下旬から腰痛が起き始めました。しばらくして、尿に血が混ざっていることに気づき、S病院で検査をしてもらいました。膀胱炎と診断されました。
 薬を飲んでいるのに2週間経過しても変化がなく、夫に付き添ってもらい9月中旬に改めてN病院の産婦人科に行きました。「すぐ大きな病院に行ってください」と言われ、その日にU市にある県立C病院に行き、検査をしてもらったところ、「子宮頸ガンで、腫瘍が5~6㎝あります」と告知され、とても驚きました。
 患部を切除することで、完治させることができるならと思い、手術を申し出ました。しかし、医師は、やさしく静かな口調で「ガンは末期で手術はできません。手術をすると子宮、腸、リンパ、骨まで削り取らないといけない場合もあります。今できる放射線治療と抗ガン剤治療を行いましょう」と、その後の治療方針が決まりました。
 その時、”余命はあとどれぐらいですか?”とお聞きしようと思ったのですが、怖くて言葉になりませんでした。
 そして、夫のことが頭をよぎりました。夫は、父のことをとても大事にしてくれました。そのことは、私の心を温かく包んでくれていました。夫は私より15歳年上で、”夫にそのときが来たら大事に看取ってあげよう”と、その思いをずっと持ち続けてきたからです。”それができない”と思うとつらくなりました。
 そのような中で、治療と検査が続きました。
 入院治療計画として
  放射線治療  30回
  抗ガン剤治療  6回
 必要に応じて追加していきます、との診断でした。
 入院計画は
  1回目 平成24年11月28日~30日
  2回目 平成24年12月 5日~ 7日
  3回目 平成24年12月12日~14日
となりました。
 私は、身体に良い自然食を自らの生活に取り入れ、社会の方々にも健康増進セミナーを通してそのことを伝えてきました。”その私がなぜこういうつらい目に遭わないといけないの!”と、言葉で表現できないくらい落ち込んでしまいました。
 そんなとき、MOAのスタッフの方が私に寄り添い、温かい励ましの言葉をかけてくださいました。それによって、私は気持ちが少し落ち着きました。

〔末期ガンが治癒に向かう〕

 私の状態を聞いたU・O市のMOA健康生活ネットワーク(以下、ネットワーク)の方々が、病院と家に来て浄化療法を施術してくださいました。毎日2人、多い時は8名も来てくださいました。
 夫も、私の好きな玄米をいつも炊いてくれて食べさせてくれました。花もいけ、浄化療法も施術してくれました。
 そんな中、体重は60㎏から52㎏に減りましたが、不思議にも食欲はありました。
 岡田式健康法を受けていることは、統合医療の一環としての健康法として受けていることを医師にもお伝えし、了解の上でした。
 そして、2回目の入院(平成24年12月5日~7日)での検査の結果、その末期ガンが治癒に向かっていることを医師から伝えられたのです。聞いてびっくりでした。
 そのとき、寸暇を惜しんで浄化療法の施術に来てくださった方々に、”ありがとう”との感謝の思いでいっぱいになりました。
 今後のことも考え、医師から「3回目の入院治療もしておきましよう。」と言われ、3回目の入院をしました。退院の時、「血液などの検査をしますので、2週間後に来てください」と伝えられました。
 そして、2週間後に病院に行きました。その時にも嬉しいことに、白血球が減少するなど血液にも異常があり、血液が正常に戻るには時間がかかると聞いていのですが、「血液も正常に戻り、末期の進行性子宮頸ガンがエコー検査の結果、腫瘍が発見できないくらい小さくなり、治癒に向かっている」と伝えられたのです。
 その検査結果と退院通知書(証明書)も手元にあります。
関係の3人の医師は、その結果にびっくりされ、「Tさん、岡田式浄化療法の資料をください」と頼まれ、お渡しすることができました。
 また、医師の一人から「Tさんは統合医療で治ったのですね」と言われ、医師の間で話題になっているようでした。

〔今後へ向けて〕

 全国一の長寿県沖縄が、男性は30位に転落、女性も3位に転落してしまいました。肥満も全国一です。そうしたことからくる生活習慣病が多い沖縄県です。
 私は、父の改善や自らの命にかかわるかけ替えのない体験から、さらに積極的にいこうと思い社会のニーズにあわせ、健康なまちづくりを意識して「安心やさい市」を、故郷の地、U市のM公民館で始めました。多くの方々が来場してくれます。
 来場者には、私のガンが治癒に向かっていることを知って来られる方もいます。
 その方々を、大宜味村にある沖縄瑞泉郷、那覇市(首里)にある沖縄療院、それぞれの地域にあるネットワークも紹介して案内しています。
 その中には、”岡田式健康法をボランティアとして自分も一緒に進めていきたい”と希望され、MOAに入会登録された方もいらっしゃいます。
 私は70歳を迎えるにあたって、夫とともに、このようなことをお伝えできる自らの人生をとても誇りに思っています。
 地域の方々の健康増進を願って、社会福祉協議会と組んで、地域の特産品である自然農法さんの山城茶やモズクの販売をしていますが、これからも、U市が開いてくれた「NPO食健うむさん会」を積極的に生かし、みなさんの健康を願い、町の方々と一緒に進めていきたいと願っています。

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