自慈心を育み幸せな人生を歩む
臨済宗の住職である一方で、精神科医・心療内科医として医療に従事する川野泰周医師。ストレス社会を生きる現代人に対して「大切なのは自己の存在をどう受け止めるかということ」と訴え、心のありようを整える方法として禅を源流とするマインドフルネスを提案し、その普及に努めている。
一方、人と人のつながりが希薄化し、共助関係や絆社会という言葉に示されるように「助け合うこと」への注目が集まっている中、そうしたことに対しても「自己の存在を受容して初めて他者に心から手を差し伸べることができる」と語る川野医師。これからの時代をより良く生きるためにはどうあればいいのかについてお話を伺った。
── 医師としてまた宗教家として、人間の存在についてどのようにお考えですか。
一言で語るのは難しいですが、精神医学的な観点でいえば、人間とは考える力を持った生き物だといえるのではないでしょうか。禅的な観念でいうと、人間は何者でもないということになります。森羅万象の中でちっぽけな、ちりのような存在だということです。
大自然の一要素でしかないのに、考える力を持ってしまったがために、自分のことや他者との人間関係で悩んだり、世界のありようを憂えたりします。考える力は脳の働きでもあり、それは心のありようともつながっているからです。
全ての動物は今を生きています。でも人間だけが過去を思い出したり、未来を予測したりすることができるのです。他の動物は過去を反すうしたり、未来を不安に思ったりすることはありません。人間は他の動物よりも大きな大脳皮質を持っているからこそ、今という時から心が離れることができるようになったのです。
ただどうでしょう。インターネットなどのITが広く深く浸透している現代社会では、多くの人にとって、パソコンやスマートフォンは、仕事だけでなく日常生活においても欠かせないツールとなっています。そこからあふれ出るたくさんの情報に翻弄(ほんろう)されて、逆に今という時、目の前のことに注意を向けられなくなっている人が増えているのです。
── それはなぜでしょうか。
やるべきことが山積し、同時並行的にさまざまなことをこなさなければならなくなっていることが大きな要因です。一度に割くことのできる注意力を注意資源といいますが、その注意資源には限りがあります。次々に外から入ってくる情報を処理するために注意資源を使ってしまうと脳は疲弊し、自らの心の中のスピリチュアリティと向き合えなくなっていきます。やがて「自分は何のために生きているのか」「何を求めているのか」という当たり前の心のありように気付けなくなり、生きる価値をも感じられなくなってしまうのです。
2010年にアメリカで発表された論文があります。世界83カ国の18〜80歳の約5千人を対象に、心のありようと幸福感を調査した研究ですが、それによると私たちは起きている間の50パーセント近い時間を、目の前のことに集中しないで生きていることが分かったのです。また、目の前のことに集中している割合が大きい人ほど、貧富の差や社会的な背景に関わらず、今この瞬間に幸せを感じる比率が高いということも分かりました。
それと共に、目の前のことに集中することによって、脳は一度に幾つもの情報を処理しなくなりますから、注意資源を回復させることができます。すると新しいアイデアを出すために脳内のエネルギーを使えるようになります。