東京工業大学 上田紀行副学長(後編)

人間の善き部分を引き出すことが大事

東京工業大学 上田紀行副学長

──「魂の覚醒」とはどういったことでしょうか。

 

 農作物の収穫後にお祭りをする風習が世界各地に今も残っています。普段は朝から日が暮れるまで働きづめだったけれども、お祭りの間は朝から飲めや歌えの無礼講が許され「働くのは大変だったけれども、こんなに収穫ができて良かった。生きていて楽しい。幸せだな」と解放感を味わいます。

 

 こうしたお祭りの時間を、文化人類学者のヴィクター・ターナーはコムニタスと呼んでいます。他者との相克性が一時的であってもなくなり「われわれは生きているんだ。みんな仲間なんだ」という意識に満たされる瞬間であり、人間が生きる上でコムニタスは絶対に必要だとターナーは強調しています。

 

 スリランカの悪魔祓いも、誰かが病気になったことをきっかけにある種のコムニタス的な状態を作り出す儀礼の一つだといえます。スリランカの悪魔祓いの儀式とは、病気になって病院に行っても治らない人を、村人たちが村祭りをして治すというものです。「病院がきちんと整備されていないから、そんな儀式に頼らなければならないんだな、スリランカって遅れている」と思う人もいるかもしれませんが、さもあらず。スリランカは、150年ほどイギリスに植民地統治されていたこともあり、病院もきちんとあって、しかも医療費は無料です。みんな病院には行きます。それでも、お父さんがやる気をなくして酒ばかり飲んでいるとか、何らかのストレスで皮膚病になってしまったとか、そういう時にこの悪魔祓いの儀式が行われます。

 

 ターナーは著書『儀礼の過程』の中で、ガーナのアシャンティ人の聖職者の言葉として「すべての人にはスンスム(魂)があり、傷ついたり打ちのめされたり病気になって、そして身体を悪くさせます。よくあることですが、妖術(ウイッチクラフト)のようなほかの原因もありますが、不健康はほかの人があなたに対して頭の中にいだく悪意や憎しみによって起こります」と紹介し、スンスムを鎮めるためにもコムニタスが必要だと述べています。

 

 アシャンティ人の聖職者の言葉にならって言えば、お金をもうけた人も、その人がもうけるのをじっと見て嫉妬に狂っている人もスンスムが汚されてしまうのです。ですから、お金をもうけた人、富を独占した人は、機会を見てみんなに配るという行為が人の道として求められますし、実際、スンスムが汚されないために富の再分配をセットにすることによって、私たち人類は、争いや戦争、テロなどを回避してきました。

 

 言葉を換えれば、人間は、狩猟採集社会で優越していた利他性と、農耕社会以後に優越するようになった利己性との両方を備えていますが、利己性を利他性で抑え込んできたのです。しかし、世界中を席巻している新自由主義や成果主義は、自由競争をあおることによって、人間の利己性ばかりを引き出し続けています。でも、目指すべきなのは、人間の善き部分を引き出そうという強い意志を持つことであり、そのためにも、傷ついたり病気になったスンスムを回復し、目覚めさせる現代版のコムニタスが必要なのではないでしょうか。

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