埼玉県 K・Nさん(39歳、女性)
〔体調不良からパニック状態になる〕
平成10年12月、私はS線のT駅の近くへ買い物に行ったとき、勧誘の人から声をかけられました。ビルの2階でアンケート用紙への記入を求められ、いろいろな質問をされました。2時間ほどのやりとりでしたが、私は「後日、こちらから電話します」という約束をして家路に着きました。
帰宅後、両親から「今後こういうことは一切無視するように」と、きびしく注意されました。私は「それなら、断りの電話を入れたい」と言いましたが、それは認められず、先方から何度か怒ったような留守電もあり、次第に気持ちが追い詰められていきました。
その後、平成11年6月、職場で自分のことを「くさい!」と言われているのが聞こえ、その後も何度もその声を耳にしました。電車に乗ると周りの人が咳き込むことが多くなり、”自分が原因だ”と強く感じるようになりました。家族に訊ねてみると「においはしない」と言われましたが、私には信じられませんでした。
職場の送迎バスでみんなと同じ空間にいることがつらくなり、何とか頑張って自動車の運転免許を取得し、中古車を買って一人で通勤するようにしました。しかし、私は常に周りの人たちの反応をうかがい、”みんなに迷惑をかけているのではないか”と思うと身が縮み、身体のふるえが止まらなくなり、パニック状態に陥って、家族に迎えにきてもらうこともありました。そして、ついに耐えられなくなって仕事をやめてしまいました。
〔「統合失調症」と診断される〕
このような中で、平成14年3月から11月にかけて、私はO病院を受診しました。心理カウンセラーの先生に恵まれ、何でも話せて、適切なアドバイスをもらえ、とても落ち着くことができました。しかし、残念なことに先生がほかの病院へ移ることになり、医師から「自宅から遠くて通院が大変ではないですか」と転院を勧められました。
その後、平成15年2月まで、S内科クリニックに通いました。心身の不調を訴えると次々と検査が続きましたが、異常は見つかりませんでした。頼みのカウンセリングも時間が短く親身になってもらえず、病院を変えることにしました。
3月、Tメンタルクリニックを受診したところ、「統合失調症」と診断され、薬を処方されました。しかし、その後も心身の不調は続き、自分の部屋から出られなくなりました。私は入院を強く望み、担当医から紹介されたH病院を見学しましたが、入院生活には食事などの団体行動もあり、”一人だけ個室で”という特例は認められなかったために断念しました。
7月、Tクリニックとつながりのある心理カウンセラーのO先生を紹介され、自律訓練法・催眠療法・イメージ療法を受けるようになりました。O先生は何もかも吸い取るように私に接してくださり、週1回、私のこんがらがった頭の中を整理してくださいました。しかし、カウンセリングを受けてから2~3日は心身の具合が良かったのですが、それ以降はまた元に戻ってしまうという状態が続いていました。
平成16年9月、Tクリニックの初診日から1年6ケ月目に、T市から「統合失調症」の障害認定を受けました。私は”何のために生きているのか?””本当に良くなるのだろうか?”と、夜な夜なそのつらい思いを母にぶつけていました。母も心身とも疲れ果てていました。
それ以降も、私は仕事のできない状態が続いていました。
〔MOA光輪花クラブを受講する〕
平成22年1月、私の祖母が亡くなりました。その前年の10月、長年にわたって祖母と親交のあったMOA美術文化インストラクターのYさんがお見舞いに来られました。そのときの母とのやりとりから、私の心身の厳しい状態を知ったYさんは、祖母が他界したあとも、わが家に来てくださるようになりました。
私はYさんの勧めで母と一緒に光輪花クラブを受講することになりました。当初は、”お花を見よう”という気持ちには、なかなかなれませんでした。しかし、回を重ねるうちに”お花を見ていると癒され、元気が出る”と感じられるようになり、お花をじっくり見る余裕ができてきました。悩んでいたり、落ち込んでいるときでも、お花をいけると気持ちがすっきりしました。そして、少しずつですが、自分の思いを素直に人に話せるようになってきました。
私はピンクの色が好きで、最初のころはピンクのお花ばかりいけていました。しかし、何回か受講するうちに、”同じ色のお花ばかりいけているのは良くないのかな”と気づかされ、”ほかの色のお花をいけることに挑戦してみたい”と思い、黄色のお花をいけてみました。そして、枝物とお花を組み合わせたり、大きなお花をいけてみたりと、配色だけでなく、いけかたも少しずつ変わってきました。それに合わせて、洋服も明るい色のものや、いろいろなものを着ることができるようになってきました。
Yさんを通して光輪花に出合えたことは、私の人生の大きな転機となりました。
〔浄化療法3級療法士の資格講座を学ぶ〕
光輪花クラブのあとで、私はYさんから岡田式健康法を受けるようになりました。そして”みなさんと同じように浄化療法の資格をいただきたい”と思い、4月から自宅で3級講座を受け始めました。浄化療法の理論、探査と施術の実際のあり方などについて学ぶ中で、10月に資格を取得しました。
その後も、心身の好不調の波はかなり続いていましたが、Yさんから浄化療法を受ける中で少しずつ体調が良くなり、”人のために自分のできることはさせていただきたい”と思えるようになりました。
このような中で、平成24年5月から月1回、MOAインターナショナル所沢において、Yさんや母と一緒に療法士のボランティアをできるようになりました。浄化療法を受けた方々から「身体が楽になった」「肩こりが解消されて良かった」などと感謝され、”少しでもお役に立てたのかな”と嬉しく思いました。
その後も、MOA健康生活ネットワーク(以下、ネットワーク)のみなさんと一緒に浄化療法を施術することに心がけました。
〔東京療院を体験する〕
Yさんや母の勧めで、平成24年12月、私は東京療院へ行くことになりました。その前日、”明日、本当に行けるだろうか?”と悩み、ギリギリまでわからない状態でした。”自分の臭いが外に漏れるのでは”との不安があり、いつもお風呂に入るのも一苦労なのですが、そのときは何とか入浴できたので、”明日は行こう”と思い、両親に伝えました。
当日、初めて見る東京療院の建物に”すごく綺麗だな”という印象を受けました。館内に入ると、とても清潔感を覚え、そこで働かれているスタッフの方々もとても優しく接してくださり、”本当にあたたかいところだな”と感じました。
先ず、クリニック部門のS先生(心療内科・精神科)の診察を受けました。先生は、私の話を丁寧に聴いてくださいました。そのあとで、「あなたのやりたいことは何ですか?」と訊かれました。
私は「外に出て買い物をしたり、美味しいものを食べたり、遊んだり、そういうことをしてみたい」「でも、電車に乗れないのです」とお話ししました。
すると、先生は「では、一人でも、どこへでも出かけられるように頑張ってみましょう」「先ずは一人で外へ出ること、家の周りを少し歩くだけでもいいので」「とにかく一人で出かけることを増やしていきましょう」「そのうちに電車も一人で乗れるように」「最初は一区間からでもいいので電車に乗ってみましょう」とおっしゃいました。
このように具体的な提案される先生は初めてでしたので、最初、私は衝撃を受け、パニックを起こしてしまいました。それでも、持参してきたお薬手帳を先生に見ていただいたときは、「なかなか良い選択だと思います」と言われ、少しホッとしました。
診察のあと、私は健康法部門で療法士の方から浄化療法を受けると、身体が楽になりました。また、これまで外食できなかったのですが、レストラン「椨の木」で母と一緒に美味しく食事をすることができました。芸術ルームではお抹茶をいただき、お花もいけ、心身ともに癒され、とても有意義な時間を過ごせました。
自宅へ向かう車の中や家に帰ってからも家族と話し合い、だんだんと自分の気持ちを整理していくうちに、”先生は私のことを心から考えてくださっている””それだったら、先生の言われた言葉を支えに頑張ってみようかな””自分のできることを一つでも二つでも実行してみよう”と思えるようになりました。
この日を境として、徐々に自分自身が変わっていったように思います。東京療院へ行ってS先生の診察を受けたことが、私にとって極めて大きな転機になりました。
〔10年ぶりに電車に乗れ、理容院で髪をカットしてもらう〕
それでも、なかなか一人で外出することはむずかしく、母と二人で近所のスーパーマーケットへ行って買い物をすることから始めました。
平成25年1月の成人式の日は大雪になりました。私は、その翌日にMOAインターナショナル所沢で療法士のボランティアをすることになっていました。いつもは母が車を運転して送ってくれていましたが、母から「明日は車を出せないわよ」「歩いて行くか、もしくは電車か、あとはタクシーか、3つの選択肢がある」と言われ、私は心の中で”それはとても困ったな””タクシーで行くしかないかな”という選択をしていました。
翌朝、母から「やはり車は出せない」と言われ、私は”どうしよう”と思いましたが、何とか行く準備は始めました。食事をしながらも不安でしたが、母から「とりあえず駅まで歩いてみない?」「着いてから考えればいい」と言われ、最寄りのK駅まで歩いて行きました。雪道でしたので、”滑らないように”と思い、足元ばかり見ていました。駅に着いてタクシー乗り場に目をやると、待っている人たちで長蛇の列ができていました。タクシーがなかなか来ないため、かなりの時間、待たなければならない状況でした。
そのとき、私は一生懸命歩いて来た勢いもあり、”頑張って電車に乗ってみようかな”と思えました。T駅まで二区間でしたが、なるべく乗客の少ない最後部の車両を選び、10年ぶりに電車に乗りました。シートに座ると、母が「少し周りの様子を見てごらん」と話しかけてくれました。車内を見渡すと、乗客の人たちはケイタイのメールを打つなど自分の世界に浸り、全然私のことを見ていないことがわかりました。
次の駅でも多くの人が乗ってきて、私の隣にも一人の女性が座りました。私は”わあーどうしよう”とドキドキしましたが、その方はすぐに化粧を始め、私のことなどまったく気にかけていませんでした。それで私は少し安心して、車窓を流れる雪景色を見る気持ちの余裕が出てきました。
そうするうちに、T駅に到着し、改札口を出てからは普通に歩いていけました。MOAインターナショナル所沢に着くと、みなさんは「よく来れたわね」「良かったね」と、とても喜んでくださいました。私は午前から午後にかけて療法士のボランティアをしました。
少し身体が疲れていたため、”帰りはタクシーにしようかな?”とも思いましたが、電車に乗ることができ、K駅の改札口を出たとき、”本当に良かったな”と思いました。帰宅したあとも少し興奮状態が続いていました。そのあと2回、電車に乗ることができ、とても達成感を覚えました。
それ以来、一人で銀行や郵便局で用事をすませ、母と待ち合わせをしているスーパーマーケットで買い物をして帰ってくるようになりました。また、ネットワークの中に美容師の方がいらして、その理容院へ2回ほど行きました。理容院で髪をカットしてもらうのも10年ぶりのことでした。
〔S先生から2回目の診察を受け、「食育セミナー」にも参加する〕
平成25年2月、東京療院でS先生から2回目の診察を受けました。先生は「12月のときに比べて顔の表情が良くなり、受ける印象も全然違います」「少しずつ改善に向かっていると思います」と喜んだくださり、その言葉に私も嬉しくなり、”また頑張ろう”という気持ちになりました。
また、先生の初診のときの所見は「目標は、先ず一人で外出できること、次に電車に乗れること、そして高輪(東京療院)まで一人で来れること」という内容でしたが、具体的には”1年以内に電車に乗れればいいかな”と考えられていたようです。そのため、私が1ケ月後に電車に乗れたことに、とてもびっくりされていました。
その後、Yさん宅でS先生とのやりとりについてお話しすると、ネットワークのみなさんも自分のことのように喜んでくださいました。
3月、自然農法の食材を使用した「元気になる食事法”食を楽しみ学ぶ食育セミナー”とってもかんたん味噌づくり」(講師:T市保健センター管理栄養士)にも参加しました。
Yさん宅での打ち合わせの段階から私も関わり、担当はお花をいけることでした。当日、2人の方と楽しくいけ、セッティングや受付のお手伝いもしました。
セミナーの中では、みなさんと味噌づくりを楽しみました。お味噌汁の試食もあり、とても美味しくいただき、後片づけも一緒にしました。35名の方々が来場され、私も少しはお役に立てたようで、”参加して良かった”と心から思いました。
先日、このような一連の出来事を、Tメンタルクリニックの担当医にお話しすると、「それは良かったですね」「継続していきましょう」と言われました。
〔今、思うこと〕
この病気になってから、私は3つのことを目標にしてきました。1つ目は、光輪花クラブを受講して心身の改善に向かうこと。2つ目は、浄化療法を受けるだけでなく人にも施術すること。3つ目は、人や社会のためにつくしている団体や活動に寄付をすること。
最初はお花をよく観察することができませんでしたが、今は”とても綺麗だなあ”と心から思えるようになり、浄化療法をいただいているうちに、”自分も人に施術してあげたい”という気持ちになれ、当初は自分のことだけを考えて寄付をしていましたが、Yさんから「世界人類の平和と幸せを願ってするといいですよ」と言われ、感謝を込めて実行するようになりました。
すると、気持ちの切り替えができ、悩みを引きずらなくなり、感謝できるようになってきました。また、いろいろな問題が起こってくると、岡田先生の哲学の中に解決の答えを見出すようになりました。
こうした中で、一つ一つできることから始め、できたことに対して感謝の気持ちをもてるようになってきました。いつも”自分の居場所がない”と感じていましたが、今はわが家がホッとできる場所になりました。
まだ心身の状態に波があるのも事実です。しかし、ネットワークのみなさんにも自分の思いを素直に出せるようになり、初めてお会いした人とも話ができるようになってきました。これは自分でも大きな変化だと感じています。
現在、睡眠時間は週2~3日は8時間ぐらいです。就寝するのが深夜2時を過ぎてしまうこともあり、早朝に用事のあるときは睡眠不足になるため、生活リズムの改善の必要性を感じています。
食事は体調の良くなかったころは、ただ食べているだけで味もわからない状態でした。今は、つくってくれた人への感謝の気持ちも湧き、美味しく食べられるようになりました。
〔K・Kさん(67歳、母親)の手記〕
私たちにとって、あまりにも長くてつらい、苦しみの歳月でした。10年以上前から綴ってきた日記を読み返してみると、当時のことが鮮やかに思い出され、止めどなく涙があふれてきます。
発症した当初、長女は部屋に閉じこもり、朝起きてからもパジャマのままで、トイレに降りて来ることもできず、食事を運んでも「要らない」と断り、目もうつろで身体のふるえが止まらず、かろうじて1週間か10日に1度、洋服に着替えられるという状態でした。こうしたことが何年も続きました。
このような中で、平成22年1月、私は長女と一緒にYさんから光輪花クラブを受講し始めました。そのおかげで、Yさんとお会いする機会が増えました。Yさんはいつも私たちに寄り添い、話を丁寧に聴き、岡田先生の哲学に基づいてアドバイスしてくださいました。
平成23年2月、私が体調をくずしたとき、東京療院の「相談シート」を使って浄化療法の施術箇所や長女の状態について、Yさんに問い合わせをしていただきました。
4月、私はYさんに付き添われて東京療院へ行き、S医師(内科・心療内科)の診察を受け、「自律神経失調症」と診断されました。S医師は、心のバランスがくずれて思いのたけを吐き出している私をやさしく受けとめてくださり、私は心の中の塊が溶けていくのを感じました。浄化療法をはじめ、お茶やお花も体験して癒された心地がして、”周りの景色も見てみよう”という心の余裕も生まれてきました。この経験が長女の東京療院の受診のきっかけにもつながりました。
平成24年10月、ご無沙汰していた心理カウンセラーのO先生に、長女がお花を習い始めたり、浄化療法3級療法士のボランティアをしていることなどについて、これまでのお礼も込めて手紙に綴りました。
平成25年1月、O先生を訪ね、長女が高輪の東京療院まで行けたことやS先生とのやりとりについてもお話ししました。O先生は「私は7年間、Nさんに関わってきたが、なかなか改善が見られなかった」「わずかな期間で電車に乗れるまでになるとは・・・」と、感慨深げにおっしゃっていました。
長女だけでなく、私の心身の状態も改善され、考え方や生き方も変わり、家庭も明るくなってきました。3年前の状態と比べて想像もつかないほどの変化です。Yさんをはじめ、あたたかく接して受け入れてくださったみなさんに心からありがたく思っています。
今はすべてに感謝の言葉しかありません。