遺伝性血液障害の症状が安定する

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アメリカ  P・Cさん(36歳、男性)

〔遺伝性血液障害の症状〕

 私は、1995年より「抗リン脂質抗体症候群」という遺伝性の血液障害で、入退院をくり返してきました。体中の至る所に血栓のようなものができる病気です。そして、血栓が肺に移動して呼吸困難となり、緊急手術を受けたことが2度(1995年と1998年)ありました。血液希釈剤と血栓溶解剤の投与を受けており、かかりつけの医師からは、「血栓が脳や心臓に達したら致命的である。動かずベッドに横たわっているように」と指示され、1996年~97年の1年半は寝たきりでした。当時はまだ若く、余生をベッドで過ごすことは耐えられず、無理をして調理の仕事に戻りました。その結果、約2週間後に血栓ができて、右足のふくらはぎが腫れて濃い紫色になりました。その後、皮膚に潰瘍ができて血膿が止まらなくなり、治るのに1年以上の期間を要しました。結局、この病気のために調理師の職を失いました。
 また、2000年に長男を出産した妻が、産後に育児ができなくなる「産後うつ病」にかかったこともあって、離婚しました。私は仕事ができず、将来に対する希望がもてなくなり、意気消沈していました。引き取ることになった子どもの成長だけを心の支えに、日を送っていました。

〔MOA健康生活ネットワークの方々との出会いから病気が改善〕

 その後12年間、症状は変わることはありませんでしたが、体調のいい日は木工業を営んでいる父親の手伝いをし、家で旋盤を用いて料理用のボウルを作る生活でした。
 2008年3月14日、私は右足のふくらはぎに潰瘍ができて、それがふさがらず寝ていました。そこに近くに住むMOAのメンバーのOさん夫妻が、Hさんとともに、私たち家族のことを心配して来てくれました。
 私はこの時、初めて岡田式浄化療法を知りました。Hさんから肩、腎臓、右ひざの裏、そして肝臓の4ヶ所を重点的に、約1時間浄化療法を受けました。その時、何か感じるものがありましたので、今後も続けてほしいとお願いしました。
 それまでの症状は、右足のふくらはぎの潰瘍から時々膿が出てくるのですが、潰瘍が治りにくく、長い時は一年以上かかっていました。それが、毎日のように浄化療法を受けるようになって2週間ほど経った時、この潰瘍が乾燥してかさぶたができて、それが剥がれようとする時のように痒くなり始めました。
 その後も、1ヶ月~2ヶ月に1度、ふくらはぎに潰瘍ができる症状をくり返していますが、浄化療法を受けると患部が今までよりも早く乾燥してかさぶたになり、痛みも改善するようになりました。
 いつも来られるO夫妻、またH妻、T夫人には感謝でいっぱいです。
 継続して浄化療法を受けた結果、痛みがなくなったので、7月からは鎮痛剤の服用を中止しています。
 2008年10月半ばに、再びふくらはぎに潰瘍ができて痛みましたが、Oさんをはじめ、健康生活ネットワークの方々から継続して浄化療法を受けることで、痛みが軽減し、10日ほどで良くなりました。腫れも引き始め、黒ずんでいた皮膚の色も改善してきました。
 医師からは「一生治らない」と言われていましたが、最近「足の色(暗紫色)は薄くなっており、血行が改善したのかも知れない」と言われました。また、浄化療法について、医師は「信じられない効果だ!」と驚いています。

〔将来に希望を見いだす〕

 母親は、食生活にも気をつけてくれるようになりました。私は肉が好きなのですが、私の病状を気遣って、最近、家庭菜園で作った自然農法の野菜を出してくれます。
 また、ヒロにある「真の健康センター」を訪問し、岡田式健康法を学び、体験しました。そこで、統合医療を進めるT医師を紹介され、同医師から「肝臓を重点箇所として浄化療法を徹底して受けるように」と、アドバイスされました。
 浄化療法を受けはじめてから症状が良くなり、将来に希望が持てるようになりました。
 病気を発症してから13年経ちますが、右ふくらはぎの腫れがひき、歩くのも楽になりました。このような結果が得られたのは初めてです。
 痛みが和らぐと、すぐにボウルや装飾品を作る木工作業を開始しています。また、オフロードATV車に乗って、好きな猟に出かけられるようになりました。先日も気分が非常に良いので、楽しみにしていた森の散歩をしました。かつて、両足を上げたまま家で寝ていることしかできなかった状態を考えると、そこから解放された爽快な気分は何とも言えません。

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