過疎化の町ににぎわいを

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島根県  Y・Uさん(73歳、女性)

〔学校近くの600坪の休耕田を地域のコミュニケーションの場に〕

 私は、島根県のY町に嫁ぎ、既に40余年を過ごしてきました。夫は平成7年に他界し、息子は広島で暮らしており、現在は一人暮らしをしています。
 私が生まれた山口県の故郷よりも、このY町の気候、風土、人情が好きで、町の活性化を願い、普段から婦人会活動や公民館活動などに参加してきました。
 平成8年に会社を退職し、これから地域のために尽くしたいと考え、平成10年に、MOA美術文化財団(現:岡田茂吉美術文化財団)の美術文化インストラクター資格を取って、友人とともに4~5名で、学校や公民館の行事などにお花をいけこむボランティア活動をしてきました。花材から季節を感じてもらおうと、野の花や自分で栽培した花ですべて賄っています。
 平成14年にハワイに行った時、自然農法実証展示ほ場の周囲の風景や環境と調和した姿を見て、大変感激しました。そして帰国後、このY町にも同じようなものを造りたいと思いました。
 国道のほとりで学校のすぐ近くに600坪の休耕田があり、“ここにできたらいいな”という気持ちから持ち主の許可を得て、近所の男性の方々に呼びかけてトラクターで整地してもらいました。
 それから公民館に行って、住民みんなで進めていけるよう話を持ちかけました。館長さんから、「それなら学校や教育委員会にもかけ合うので、話し合いの場を持ちましょう」ということになりました。公民館に私の友だちも16名集まり、教育委員会の方や教頭先生や公民館の方々と話し合って、平成14年2月、ボランティア団体「ふれあい花壇」を立ち上げることになりました。

〔子どもたちと一緒にお花・野菜を育てる「ふれあい花壇」〕

 山口との県境にあるY町も過疎化が進んで、往時の活力が失われつつあります。生徒数は小学校が70~80名位、中学校が60名という現状です。高校も1学年40名以上いなければ廃校になるという話が出ました。そこで、周辺の市町に出ていた学生をY町に残るように呼びかけて高校を存続させたと聞いています。ですから子どもたちは地域の宝なのです。学校と地域と家庭が一つになってお互いを支え合っていく。ふれあい花壇には、そういう願いが込められています。
 公民館の職員の方に手伝ってもらって「ふれあい花壇」を紹介する資料を作りました。その中で活動の目的について、「子どもたちと一緒に花や野菜を育てる活動、花を育てることにより情操を豊かにする。その活動を通して将来を担う子どもたちの健全で心ゆたかな成長を願い、美しいものや自然に感謝する心、良い行いに感銘し、生命を大切にし、他人を思いやる心、優しさなどといった生きる力を醸成する……」と書いてもらいました。また、環境美化と住民の交流も願いとしています。
 600坪の畑では、すぐそばにある保育所をはじめ、近くの小学校や中学校ごとの栽培区画を決めて、農薬や化学肥料を使わない自然農法で栽培するようにしています。
 助成金は婦人会の会長さんが、「島根ふれあい財団に報告したら、花の種をもらえるよ」と言われたので、資料を送ってもらいました。読んでいると、ふれあい花壇の活動が助成の対象になりそうだと思い、この点を確認すると、助成の申請を「受付けますよ」とのことで、見積書を提出すると助成金がおりました。
 また町の方でも、「町づくり助成金」に町議さんが申し込んでくださって助成金をいただいています。
 平成18年2月にふれあい花壇の総会に参加されていた教育委員会の方が、助成金で全てを賄うことができず、会員で多少の支出をしている私たちの活動の実態を知って、ふれあい花壇の一部を学校としての取り組みと位置づけられて、私を非常勤講師として登録していただきました。

〔地域の人たちが参加する「ふれあい花壇」〕

 当初17名で始めたふれあい花壇の活動も、現在は会員37名になっています。公民館の館長さんが事前に話を通してくださったおかげで、ふれあい花壇の組織に区長さん、町会議員さん、教育委員会の委員さん、教頭先生などが名前を入れてくださったことが、今日の活動に拡大していく上で大きかったと思います。
 ふれあい花壇では37名の会員が4地区に分かれて、毎週木曜日にボランティア活動を行なっています。田植えや稲刈りなどの学校行事の取り組みは、全会員に声をかけて進めてきました。私は、学校行事の段取りや畑の維持管理などもありますから、ほとんど毎日のようにふれあい花壇に足を運んでいます。
 現在は、保育所の野菜作り、小学校児童と米や野菜作り、中学校生徒と花の栽培をしていますが、学校や保育所が全面的に協力してくださいます。
 自然農法の作物づくりをしっかり子どもたちに分かってもらおうと思って、ふれあい花壇で収穫したものを使って、学校や保育所で給食参観に招かれた時などにお話ししたこともありました。ちょうど今、学校も地産地消や食育といった教育にも取り組んでおられますので、私も「安全で安心して食べられるものを作ろう」と話しています。
 花も、除草剤を使わずに作っています。安心して手で触れることができますし、子どもは裸足で畑の中に入ります。
 保育所の年長組がさくら組なので、保育所ではふれあい花壇の中の栽培区画を「さくら畑」と名付けています。ふれあい花壇の隣が保育所なので、ふれあい花壇で草を引きながら、園児たちの声を聞いていると、元気が出てきます。毎年、夏野菜もいろいろ作り、自分たちで作ったタマネギ、ニンジン、ジャガイモでカレーづくりをして喜んでくれます。秋野菜もダイコン、ハクサイを作って、保育所で全園児に豚汁をごちそうしておられます。12月に学習発表会が保育所でありますが、平成17年は「ふれあい花壇での野菜づくり」が劇になりました。劇の中で、子どもたちが「おばちゃん」と大声で呼ぶところがあり、感激しました。
 小学校5年生は、わが家の田んぼの一部を使って米づくりも体験しています。今年で5年目になりましたが、毎年田植えの時は、児童よりも多いくらいの会員が集まります。田植えや稲刈りはすべて手作業ですが、今はどこの農家もやっていないので、みんな「懐かしい」と言って、子どもたちと一緒に童心に帰って楽しんでいます。最後は収穫祭をして、新米を飯ごうで炊いて、おむすび作りをしたり、お餅をついたりして食べます。
 中学校も花を植えているのですが、普段はクラブ活動で時間が取れないということで、夏休みに生徒たちが、それぞれの時間を利用して自発的に草取りをしてくれました。

〔新聞報道から新しい出会いが生まれる〕

 平成18年3月の山陰中央新報の「ひと」欄に「土に触れ恵みを実感して」というテーマで、「ふれあい花壇」の取り組みが紹介されました。
 記者の方は以前、学校の餅つき行事などの取材に来ておられて、4月から松江に転勤になるということで、その前に最後の仕事として是非、取材したいということで来られました。地方のことですので、新聞に載ると、近所の方や子どもたちまでもが「おばさん、新聞見たよ」と、声をかけてくれるのです。
 新聞報道があってから、しばらくして、Kさんという方から手紙が届きました。Kさんは出雲の方で、現在入院されているとのことで、「あなたの活動を読んで、Y町の子どもたちは幸せだと思う。常日ごろ、自分たち大人が動かなければと頭では分かっているが、実際には身を引いてしまう。元気になったらお会いしたい」という内容でした。
 これがきっかけとなって手紙のやりとりを行なっています。みなさんにもお願いしてふれあい花壇で作った花を押し花にして、絵手紙を送るなどしています。

〔「ふれあい花壇」が拡がって〕

 平成19年よりY町の地域活動支援センター(障がい者施設)との交流が始まりました。11月には「ふれあい花壇」を会場に会員と支援センターの方々が一緒になって、ハボタンの苗の植えつけや草取りをしました。平成20年も、9月19日に合同で草取りを行なうことができました。支援センターには7月30日に会員で訪問し、廃棄される割り箸を材料に、手作り花器などの作品を作り,楽しいひとときを過ごしました。
 今年(平成21年)は12月15日にチューリップの球根と支援センターで購入したハボタンの苗、合計500本をふれあい花壇で一緒に植える予定です。
 また普段からの学校行事や公民館行事にも「ふれあい花壇」のグループ名で登録して参加しています。
 公民館では、趣味の会を毎月開催してきました。趣味の会で学び合ったことがたくさんあるので、この中から、小学校の学習発表会での「ふれあいコーナー」の内容に活かせるようにしています。昨年(平成20年)は小学校の学習発表会で、「花との出合いを楽しもう」をテーマに、一輪の花のいけこみ体験を行いました。
 平成21年11月15日の地域の文化祭に、ふれあい花壇で収穫したサツマイモを使って、前日に会員のみなさんと6年生で芋菓子を240個作り、当日は先生も加わってみんなで販売しました。昨年に続いての試みでしたが、大変好評でした。
 また、小学校の交通安全教室にも、地域の代表として参加し、登下校の「声かけ運動」にも積極的に協力させていただいています。保育所行事にも招待していただき、園児の太鼓や駒まわしやお遊戯なども見せてもらっています。
 毎日が健康で、楽しくて、生きがいが持てるという状態がなりよりもありがたいことです。お蔭で健康にも恵まれて、なんとしても地域のために役立たせていただきたいという思いです。地域が生き生きとして、年寄りも青年も子どももみんなが家族のように暮らしていくことができればと、そういう地域の力が、今、必要なのだと思います。

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