躁鬱状態、逆流性食道炎を乗り越える

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東京都  H・Sさん(27歳、女性)

〔ストレスや生活環境の変化から躁鬱状態になる〕

 平成11年、私は静岡の高校を卒業して東京の会社に入社しました。しかし、度重なるセクハラに耐えかね、平成14年の春、会社を辞めました。
 それからは、アルバイトを掛け持ちしながら生活していましたが、平成16年、テーマパークでの仕事が決まりました。夢のある場所で働ける事はとても嬉しかったのですが、仕事は、朝6時半までに出勤しなければならず大変でした。また、仕事はチケットセラーでしたが、これまでの経験から、私は体を動かしている方が性に合っており、じっと座っているのが苦手でした。
 この不満のような思いと、早朝出勤という生活環境の変化もあって、3ヶ月ほど経った夏から少しずつ体調が悪くなりました。お腹が痛くなったり、気持ち悪くなったり、家から出るのが嫌になったり、知っている人に会いたくないという精神状態になりました。
 私は、この少し前からスポーツジムでもバイトを始めていて、ジムの会員で、都内で内科医をされているY先生と知り合いになったので、症状について相談しました。すると、「一度病院で診てもらった方が良い」とアドバイスしていただきました。数日後、精神科を受診すると、「躁鬱状態」と診断されました。
 それから症状は次第に悪くなり、仕事も休みがちになりました。私は、あまり迷惑をかけてもいけないと思い、翌年の17年1月にテーマパークを辞めました。

〔逆流性食道炎になる〕

 生活の心配もあったので、スポーツジムのバイトとあわせて日払いで体も動かせるウエイトレスの仕事を始めました。勤務時間は夜8時から深夜2時までで、昼と夜の生活が逆転してしまいました。
 このころから、次第に強い胸焼けや胃もたれを感じ、食欲がなくなっていきました。
 平成18年5月、激しい吐き気に襲われました。トイレへ行って吐くのですが、しばらくするとまた吐くという繰り返しが続きました。生れて初めて胃液を吐くという体験をしました。私は、不安になって病院へ行きました。
 病院では、吐き気止めの薬が入った点滴を打ち、後日、胃カメラで詳しい検査を行なうことになりました。しかし、この時の点滴がとても痛くて、私は次の検査が不安になって、Y先生に電話をして相談しました。すると、「ウチでも胃カメラの検査はできるから、よければ来てください」と言ってくださったので、Y先生の病院で診察を受けました。
 診察の結果、食道の出口が炎症を起こしている「逆流性食道炎」との診断でした。心因性であることから、Y先生は心療内科を紹介してくださいました。
 心療内科を受診すると整腸剤や食欲増進剤などたくさんの種類の薬が処方されました。食後に3種類、寝る前に2種類の薬を飲んでいました。仕事先で薬を飲んでいると、友だちが「そんなに飲んで体は大丈夫なの?」と心配するほどの量でした。しばらく治療を続けましたが、症状は治まらず、体重が7kgも落ちました。
 さらに服用し続けると、症状は治まってきましたが、今度は体重が増えてしまい体臭とか排泄の匂いがひどくなりました。私は心配になって、心療内科の先生に相談しましたが「心因性の病は時間がかかるものだから、じっくりやっていかないと」とのことでした。それでも、私は薬を飲み続けることに抵抗があり、ふとMOA高輪クリニックを思い出したので、相談してみることにしました。

〔MOA高輪クリニックを知ったきっかけ〕

 高輪クリニックを知ったのは、食道炎になる1年前のことです。時々、両親が送ってきてくれていたMOAのケチャップを切らしてしまい、以前、父から教えてもらった橋場のMOAオレンジハウスに買い物に行きました。
 橋場は車がないと少し不便なので、調味料やジュースなどをまとめて1万円分ぐらい買いました。すると、お店の方が配送してくれ、品川駅に近い高輪のオレンジハウスを紹介してくれました。
 さっそくインターネットで「MOA・高輪」と入力して調べてみると、オレンジハウスと同じ建物にあるMOA高輪クリニックが紹介されているホームページが出てきました。「どんな病院なんだろう?」と思って見てみると、岡田式健康法が紹介されていました。私は当時、帯状疱疹を患っていたので、一度受診してみようと思い、予約しました。
 診察を受けた後、医師から「今日は、東京療院浄化療法美術文化法を体験してみませんか」と勧められました。処方箋が出されると思って待っていたので、正直「え?」と思いました。私はよく分からないまま、浄化療法と茶の湯、いけばな体験をしたのですが、特に痛みが収まるとか、癒されたという訳ではありませんでした。その後も継続して受けた方が良いと勧められたのですが、仕事も忙しかったので、その後、高輪クリニックへ行くことはありませんでした。

〔岡田式健康法に良さを感じる〕

 そんなことがあったのですが、薬の服用状況がこのままでいいのか病院で相談したかったので、平成18年7月、1年ぶりに高輪クリニックを受診しました。
 その日は院長のS医師が診察してくださり、薬の使用状況については、「そんなに強い薬ではないので心配しなくてもいいですよ」とのことでした。また「無理に薬を全部やめようとせず、担当医と相談しながら、体に問題がなければ徐々にやめていけばいいですよ」などとアドバイスをいただきました。
 そして、今回はふと“もう一度受けてみようかな”と思い、岡田式健康法を受けたいとお願いしました。美術文化法ではいけばなをしましたが、一輪挿しに私の好きなガーベラをいけました。1年前とは違い、その可愛さに癒される感じがありました。
 浄化療法も受けましたが、体調が変化するというより、気持ちが落ち着きました。そして、この岡田式健康法は何となく“いいなぁ”と思いました。私は浄化療法が終わるとスタッフの方に「私の家の近くで岡田式健康法を受けられる場所はありませんか?」と訊ねてみました。すると、同じ区内で健康生活ネットワークとして活動しているKさんを紹介していただきました。
 翌日、Kさんから電話がかかってきました。場所を聞くと私の家から徒歩で2分ほどの所にお宅があったので、さっそく伺うことにしました。
 Kさんのお宅は、家中に花が飾られていて、とても明るい印象がありました。
 私はクリニックでの体験を話しました。花を見ていると癒される感じがして、「私もそういうお花がいけられるようになりたいな」と言いました。するとKさんは、「私の家で習えるわよ」と言われました。Kさんは美術文化インストラクターの資格を持っていて、自宅で「光輪花クラブ」というお花の教室を開いているとのことでした。また、盆手前の教室もしているとのことで、私は以来、月にそれぞれ1度ずつお茶とお花を習うために、Kさんの家に通うことにしました。その時に浄化療法も受けました。

〔健康生活ネットワークに通う中で、心身が変化する〕

 Kさんのお宅に通うようになって3~4ヶ月が過ぎたころです。仕事場でイライラすることがなくなっている自分に気づきました。以前は、職場の仲間と時々意見が対立すると、相手を腹立たしく思ったり、責めたりしていましたが、そんな気が起こらず“自分がしっかりやっていればいいんだ”と思えるようになっていました。満員電車に揉まれてもイライラすることはなくなり、隣の人のイヤホンから音楽が大音量で漏れていても腹を立てるどころか、その音楽を楽しむような自分になっていました。
 気持ちに余裕が出てきたのだと思います。体のことも“悪化していないことが何よりかも”とポジティブに捉えられるようになりました。
 食事も、高輪クリニックで栄養相談を受けてからは、お菓子を食事代わりにするといった偏った食生活を改め、朝は好きな果物のミカンやバナナを食べ、昼や夜は実家から送られてきた自然農法で栽培したお米や調味料を使った手作り料理を心がけるなど、きちんとした食事をとるように努力しました。今では白いご飯を朝から食べるようになりました。
 浄化療法を受けることで体にも変化を感じるようになりました。
 以前、こんなことがありました。私は接客業の関係で、毎年インフルエンザの予防注射を打っているのですが、ある日、Kさん宅で浄化療法を受けてから病院へ行くと「微熱があるのでワクチンを打てません」と言われました。風邪とか、体調が悪い訳ではなかったのですが、あらためてということになりました。翌週もKさん宅で浄化療法を受けてから病院へ行ったのですが、また微熱があり、注射が打てませんでした。
 この出来事をKさんに話すと、岡田茂吉先生の本を紹介してくれました。体には毒素を排泄する浄化作用という働きがあり、その時には熱が生じるとのことでした。私の体は浄化療法を受けると、毒素を排泄しようという作用が働いて微熱が出ているのかもしれないと思いました。
 これをきっかけに、私は、浄化療法のことを知りたくなりました。“何故、受けると浄化作用が働くのか”“どういう効果があるのだろうか”という興味が湧いてきました。
 また、Kさんを見ていると、私のような病気を抱える人たちに浄化療法を施術したり、お花の教室を開くなど忙しい方なのですが、とても楽しそうで、羨ましく思えました。私も一緒に何かしたいと思うようになり、Kさんに相談しました。すると、この時、東京療院では浄化療法の療法士ボランティアができるから、その資格を取ってみたら?」と勧められました。私はすぐに取ろうと決心しました。
 平成19年5月から、講座が始まりました。浄化療法の理論は難しい言葉が多くて覚えるのが大変で、何度かKさんに相談しながら、勉強を進めていきました。

〔MOAの活動に出合う中で、心身が健康に向かい、環境も良くなる〕

 療法士の資格講座を受け始めたころのことです。仕事先で給料の支払いが滞るようになり、私は転職を考えていました。同じころ、お店に来ていた建設会社の常務の方からお誘いがあり、会社見学をする機会がありました。行ってみると、とんとん拍子に話が進んで、平成19年6月1日からアルバイトで採用していただくことになりました。不思議なことに、その前日の5月31日に、辞めた店は閉店してしまいました。
 また、療法士の資格を12月に無事に取ることができましたが、ほぼ同時期に、建設会社から正社員として採用していただけることになったのです。
 平成20年3月下旬には、療院で療法士のボランティアをするための研修を受けたのですが、そのころには帯状疱疹の薬や心療内科から処方されていた薬を服用しなくてもよい身体の状態になっていました。
 振り返ると、私にとって療院や健康生活ネットワークの方々に出会えたことが人生の転機になりました。ですから、療法士の資格やお茶のお点前の資格を取ったこれからは、会社の休みを利用しながら療院や地域での健康増進セミナー、Kさん宅での教室などに参加して、自分自身が病気をしない体づくりをしていきたいと思います。

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