膠原病からの回復

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アメリカ  J・Cさん(18歳、女性)

〔膠原病と診断される〕

 2005年5月ごろから体調が思わしくありませんでした。熱が出て疲労感もあったので朝起きることができず、顔は日に焼けたように黒くなり、肌荒れもひどくてしばらく学校を休みました。1週間ほどすると顔や唇に発疹も出始めました。体に出てくる症状がひどくなっていくので、5月12日、母と一緒に病院へ行きました。
 血液検査、尿検査の結果、膠原病の一種である全身性エリテマトーデスとの診断を受けました。母は私が膠原病であると予想していたようでした。母の叔母が若いころに膠原病で亡くなっていて、また祖父やいとこがやはり膠原病を抱えているとのことでした。その話を聞き、母に「私は死んでしまうの?」と聞きました。母は、「今は薬によって90%の方が生存できるようになり、薬がなくても生活をしている人もいるのよ」と励ましてくれました。
 そしてこの日から病気と向き合う日々が始まりました。

〔岡田式浄化療法を受ける〕

 2005年5月、私は母と一緒に初めてMOAセンターに行き、浄化療法を受けるようにしました。
 母とMOAとの出合いは、その前月の4月です。母は水泳をよくしていて、このころ、何かに感染したのか、右耳が痛むようになったそうです。そして4月29日、知り合いからMOAセンターでの健康増進セミナーを紹介されたので、参加して浄化療法を受けてみると、痛みが取れ、それから2週間後には全く痛みがなくなったそうです。この体験を通して母は、MOAに入会して、浄化療法ができるようになりました。
 私はMOAセンターで浄化療法を受けたり花をいけたり、自然農法のお茶を楽しみ、家では母からも浄化療法を受けました。特に熱がある背中や肩、それから頭も集中的に受けました。また母は、岡田式健康法を体験する中で食事の大切さを学んだようで、家庭の食事を自然食で作ったものに変えてくれました。

〔闘病生活2週間目の出来事〕

 5月23日、病院で3度目の検査を受けた時のことです。担当医は、私の変化に驚いていました。腎臓機能や肝臓機能などの数値が改善していたからです。ヘモグロビン、血小板、白血球の数値も正常値に戻っていました。また、顔もきれいになっていました。膠原病から脳梗塞を起こすこともあると言われていたのですが、抗体検査の結果、血液凝固障害などを引き起こす可能性はないと言われ、両親は大変喜んでいました。
 私はこれまでステロイド薬(プレドニン)を服用していました。担当医はこの薬の効果だと言いましたが、腎臓の専門医は、通常は7ヶ月から1年以上経過しないと薬の効果は見られないと言っていました。私は薬の服用を始めてからまだ2週間しか経っていませんでした。
 私たち家族は、より一層岡田式健康法を取り入れるようになりました。
 食事はますます改善され、父や弟も芸術を楽しみ、花をいけ、浄化療法を受けるようになり、わが家の生活習慣が変わってきました。
 私もMOAセンターに通う中で美を意識するようになり、MOAセンターのボランティアのみなさんにお礼状を書きました。カードに花の絵を描き、感謝の言葉を綴りました。
 家族も私の改善がよっぽどうれしかったのでしょう、MOAの進める事業に役立ててほしいと、お金を寄付しました。

〔皮膚の変色が良くなってきた〕

 6月14日、4度目の検査ではさらに良くなっていると言われました。血液検査では、抗ds-DNA抗体の数値が前回の40 IU/mlから半分の20 IU/mlまで下がっていました。腎臓、肝臓などの機能も改善していました。前回の検査で、プレドニンが40mgから35mgに減りましたが、今回は30mgまで減らすことができました
 顔の皮膚の変色も良くなってきました。学校(サマースクール)でも97%、A+というハイスコアの成績を取ることができました。これも体が元気になって、努力できたからだと思います。家事の手伝いもできるようになったので、母はとてもうれしそうです。
 その後も、浄化療法を受け続けました。家で母親から受ける回数も増えました。合わせて1日2時間ほど受けるようになりました。
 このころ、2週間ほど片頭痛が続いたのですが、MOAセンターで2日間行われた健康増進セミナーに参加して浄化療法を受けると痛みがなくなりました。この変化にうれしくなり、私は家族や友だちに施術をしたいと思い、6月19日にMOAに入会しました。

〔家庭医から改善の方向に向かっていると言われる〕

 7月8日の血液検査が出た7月12日、私は家庭医を訪ねました。医師は検査の数値を見て、膠原病の改善に向かう顕著な結果があると言っていました。家族も喜びをかみしめていました。
 そして、私が5歳から始めていたサッカーとテニスをしてもよいと許可をもらえました。最初は数分しかできませんでしたが、日に日に長く運動ができるようになりました。頬にチョウチョのような形をした変色した皮膚があったのですが、それもだんだん良くなっていきました。不規則だった生理も、このころには順調になりました。
 私は家庭医に浄化療法のことも話したのですが、効果があるかもしれないと理解されたようで「続けて受けた方がいい」と言われました。
 7月末、髪の毛が抜けやすいことに気づきました。母と一緒に早速担当医に連絡し、私の症状を伝えましたが、思いがけない言葉が返ってきました。担当医からは、もう一つの薬(プラケニル)の使用をやめるようにということでした。膠原病の患者は通常、一度薬を服用すると生涯その薬を飲み続けなければいけなくなるのです。
 薬をやめた後は髪の毛が落ちることが少なくなり、新しい髪の毛も生えてきました。プレドニンは減らすことができていたのですが、今回、プラケニルを止めることができたのは、良い傾向だと思っています。このように一歩ずつですが、薬の必要のない生活ができるようになってきていることに、病気を乗り越えられるのではないかという希望が出てきました。

〔3ヶ月で膠原病が改善する〕

 8月も体調は良く、血液検査の結果、抗ds-DNA抗体の数値は10 IU/ml以下の正常値になっていました。白血球が自分の体を攻撃しなくなったということで、顔の皮膚は劇的に良くなっていました。担当医からは、「自己免疫患者としてモデル的な回復を見せている」と言われました。私は、岡田式健康法を体験しており、浄化療法、お花やお茶を楽しんでいることを伝えました。医師は茶の湯は、抗酸化剤として炎症を減少させるのに効果的だと言い、支えてくれているサポートグループについても好印象を持ってくれました。
 その翌週から新学期が始まりましたが、私はスポーツ(サッカー、テニス)に久しぶりに参加できました。そして2年後の2007年には、テニスのトーナメントに出て、ハワイ州大会にも進み、いい成績を残すことができました。
 2005年5月から浄化療法を受け始めて3ヶ月で、膠原病の苦しみからから抜け出ることができました。現在も、月に1回検査を受け、薬も服用は続けていますが、日々、家族やサポートしてくれたMOAのスタッフの方から浄化療法を受け、元気に学校に通っています。

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