福井県 K・Mさん(34歳、女性)
〔脳腫瘍が見つかる〕
私が病気を知ったのは、平成20年11月末に、職場の先輩(以前病院で働いていた方)から、「その歳で物忘れがあり、覚えづらいというのは、ちょっと気になるから、一度受診してみては。何もなければ安心できるしね」と言われ、軽い気持ちで紹介されたK病院の精神科の先生から診察を受けたのがきっかけです。
CTで撮った頭部の影の画像を見せられ、「これが何かは分からないけど、普通の人にはない何かがあるので、脳外科を受診してください」と言われました。ちょうど仕事が忙しい時期で平日に休みが取りづらかったことと、何より精神科の先生からは、「急いで受診しなくてもいいけれど、一度専門で診てもらってください」ということでしたので、年が明けた平成21年1月19日に紹介状とCTの資料を持って県立病院へ行きました。
そしてMRIの検査を受け、22日に脳腫瘍と診断され、すぐ入院と手術を勧められました。
私は普段から実践している岡田式健康法のことをお話ししました。医師は「それはどうぞ自由にしてもらったらいいですけど、それだけで治そうとする考え方は捨ててください。取らないと命にかかわりますから」との強い口調に、初めてことの重大さに気づき、大きなショックを受けました。
三重県の病院で働いている弟に相談すると「とても難易度の高い、一歩間違えば植物状態になるかもしれない危険な手術だから、念のために遺言書を書いたほうがいい」と言われました。私はこの歳で死と向き合うことになりました。
夜、子どもと添い寝して寝ているのですが、寝付けないでふとわが子3人を見ると、思わず涙がポロポロとこぼれ落ちました。“せめてこの子たちが成人するまでは親としての責任を果たしたい”と願いました。
〔手術〕
1月27日にMOAの金沢療院へ行って診察を受けました。M医師に相談すると同じ見解でしたので、手術の決心をしました。また、M医師は「私たちにできることがあれば、要望があれば言ってください。バックアップします」とも言ってくださいました。
2月2日に入院し、6日に手術することになりましたが、入院日の前日2月1日には、さっそく金沢療院からスタッフの方が福井まで来てくださり、岡田式健康法の浄化療法と美術文化法(お花、お茶)を体験しました。とても温かい雰囲気の中で体験でき、久しぶりに落ち着いた気分になりました。遠方まで出向いただいたことを深く感謝しました。
6日の手術は無事成功しました。しかし、麻酔が切れてから数日は、ただつらくて痛くて、熱も38℃を超え、点滴をしてオムツをして、うなっていました。寝返りをするのもやっとの状態で、頭は体以上に重く感じました。お腹はすかないのに時間になると食事が運ばれてきて、“食べないと体力がつかないから”と口に入れるのですが、頭にひびいて痛くて食べられませんでした。
“いつかまた元気になれる日が来るのだろうか?”という不安。体が思うように動かせない苛立ちと不満。先の見えない長いトンネルに入った気分でした。でも家族がいつもそばにいて支えてくれました。
〔健康生活ネットワークの支え〕
入院中は、金沢療院のご配慮で、地域の健康生活ネットワークのみなさんなどから浄化療法を受けることができました。
みなさんはそれぞれにお花を持ってきていけてくださったり、私や看病している家族のためにと、自然農法で作られたお米のおにぎりを作ってきてくださったり、ご自分の体験を交えながら励ましてくださったりしました。こうした支えもあって、日に日に体が楽になるのが分かりました。お花を見ていると頭が少し楽になることにも気づき、お花ばかり見ていました。
お陰様で、日が経つにつれ、寝返りをする体の動きが速くなってきました。そのうちベッドを起こして座ることもできるようになり、立てるようになり、出された食事も半分以上食べられるようになりました。毎日様子を見に来てくれる主治医も「順調、順調」と言ってくださりました。
術後の検査でわずかな腫瘍が残っていることが分かりましたが、細胞が良性だったことで、すぐに放射線治療に入るのではなく、経過を見ることになりました。そして3月14日に長かった入院生活を終え、帰宅しました。
〔退院後の状況〕
家に帰ってからも、毎日浄化療法が受けられるよう、健康生活ネットワークのみなさんが、金沢療院と連携を取りながらスケジュール表まで作って、朝昼晩と来てくださいました。体調は、しばらく微熱は続き、時には39度ほどの高熱が出ることもありましたが、不思議と気が病むということはなく、徐々に元気になり、食欲も出てきました。
5月12日、退院後初めて金沢療院を受診しました。M医師をはじめスタッフの方々が温かく迎えてくださり、私はお礼を言いました。この日は診察を受けた後、栄養指導を受けましたが、岡田式健康法の食事法も取り入れ、食事を改善することも気長に続けていこうと思っています。
私は、このように親身になって支えてくださる療院が福井にも欲しいなと思いました。福井の方々が、より健康で幸せになっていけるように、金沢まで行かなくても、“もっと近くにあればいいのにな”と思いました。
〔父親Kさんのコメント〕
長女は、2年前よりお菓子屋さんにパートとして勤めておりまして、「もう少しできるようになれば正社員になってもらうから」と社長からも言われ、職場の仲間からも非常によくしてもらっておりました。以前より、少し物忘れするなと思っておりましたが、ストレスから来ているのだろうと思っていましたので、病院に診てもらおうとは考えてもいませんでした。
職場の仲間から受診を勧められたのですが、ここが非常に大事なところで、もし勧められていなかったら将来どうなっていただろうと思うと、このお菓子屋さんに勤められたこと、そして以前、医療関係者の仕事をしておられたという仲間に出会えていたことを嬉しく思います。
病院の診断を聞いた長女の気持ちはどうだったでしょうか。まだ小学3年生と1年生、保育所に通う子がいます。「母は強し」と言いますが、ショックも動揺も見せず、子どもたちに接しておりましたが、人の目のないところで泣いていたのではないかと思います。
さて、どうするかということで、家族で話し合いをしました。そして妻は長女に付き添い、長男は医療関係者としてアドバイスし、二女は家事と子どもたちの世話、私の母は家事などと全員がそれぞれ役割を決めて看病しました。
2月2日、家族で先祖の墓参りをしてから入院しました。そして6日に手術を受けましたが、無事成功しました。
私たちは統合医療を進めている金沢療院と岡田式健康法のことを主治医に伝えて許可をいただいていたので、入院前、入院中、退院後も浄化療法を継続しました。金沢療院及び地域の健康生活ネットワークの方々のたくさんの支えは、私たちにとって何よりも有難く、本人はあまりの感動に、その方々と手を握り合い、嬉し涙を流すのを見たことがありました。金沢療院のM医師が、療院としてもできるだけバックアップ、フォローさせていただきます、との言葉もとても心強く感じました。
みなさまの長女に対する心からの支えによって、病気を無事乗り越えるという結果に結びついたものと思っております。