肺ガンを患った母へのターミナルケア

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愛知県  K・Nさん(50歳、女性)

〔MOAに入会〕

 私の友人のAさんはMOAの会員で、「素晴らしい健康法があるわよ」と岡田式浄化療法のことなどを、私と一緒にいた別の友だちに紹介していました。話を聞いていて、その友だちよりも私の方が興味を持ち、さっそく「健康生活館やわらぎ」へ連れて行ってもらいました。
 「やわらぎ」は静かな治療院のようなところだと思っていましたが、多くの人が出入りし、とても明るい雰囲気でした。浄化療法を受ける前に、腎臓の働きの大切さや探査の部位などの説明があり、健康問題に関心のある私は、その内容にとても興味を持ちました。浄化療法を受けてみると身体に変化を感じ、その効果がわかりました。そして、平成18年8月にMOAに入会しました。

〔母が肺ガンと診断されて〕

 平成21年5月、母が市内のT病院で第4期の肺ガンと告知されました。母は、最初のカンファレンスで医師に余命がどのくらいあるか訊ねました。医師は「平均生存期間は6~7ヶ月」と気をつかいながら話してくださいました。私はその事実をどうしても受け入れられず、毎日涙に明け暮れていました。
 そうした状況の中で、「やわらぎ」で親しくなったYさんが病室にお見舞いに来て、母に浄化療法を施術してくださいました。翌日、母の体調が良くなっている姿を見ると“浄化療法でガンが治って欲しい”という希望を捨てきれませんでした。
 一方、母は「この病気は自分がなるべくしてなったのよ」と話し、「私は3~4ヶ月あればいい。それだけあれば、お店の処理などやり残したことをやれる」と言っていました。母は自分の信仰している宗教の教えから「なるべく清まった姿で穏やかに死んでいきたい」と願っていました。それはあきらめとかではなく、病の意味や、使命を覚ったが故の思いであることを知りました。そして、私も母の思いを少しずつ受け止められるようになっていきました。
 T病院は、人の尊厳や権利を重視し、包括的・全人的医療を行うことを基本方針に挙げておられます。母に対しては抗ガン剤を使わずに鎮痛剤やステロイドなどを使用されました。それをすると体調が悪くなったために、母が医師に相談したところ、すぐに中止してくださいました。さらに浄化療法についても「患者さんが望むのであればいいですよ」と認めてくださり、とてもありがたく思いました。そのために、母は病院でも浄化療法を継続して受けることができました。お蔭で母は痛みがとれ、体調も良くなり、外出などもできるようになりました。
 母は入退院を繰り返しましたが、自宅でもFさんをはじめ、MOA健康生活ネットワークの方々から浄化療法を受けるようになりました。私は、浄化療法を受けて活力が出る母の姿を見て、“自分は何もできないのではなく、浄化療法を母に施術してあげることができるのだ”とわかりました。自分が母のためにできることがあることに感謝しました。

〔岡田式健康法を受ける中で心身を癒される母〕

 健康生活ネットワークの方々も浄化療法や、自然農法の食材で作った玄米スープなどの食事を持ち寄ってくださいました。真心のこもるお世話をしていただき、とても心強く感じました。特に、Yさんから岡田茂吉先生の書かれた本に基づいて、病気は体内にあってはならない毒素が、人間に生来備わっている自然治癒力によって体外に排泄される浄化作用であることを丁寧に説明していただきました。母も私もそれが理解でき、不安が取り除かれていきました。
 母は浄化療法を施術してもらうと非常に痛みがやわらいで気分が楽になり、その効果を実感していました。その後、退院してから「自分でも施術したい」と希望して、平成21年6月8日にMOAに入会しました。
 また、「やわらぎ」では母にお抹茶を点てさせてくれたり、飲ませてくれたりしました。母は少し身体が痛い日でも、「やわらぎ」には足が向き、気持ちが前向きになり、笑顔も増えていくのがわかりました。そうした母の姿を見ながら、母の望むことを何でもさせてくださった「やわらぎ」の存在にとても感謝しました。

〔家族が一つになる〕

 母は父、弟夫婦と同居していました。父は自己中心的なところがあり、母が気に入らないことを強要したりするので、母も私も父を好きになれない気持ちがありました。また、父はヘビースモーカーであり、母がガンになったのも父のせいではないかと思え、憎んだりもしました。母も父がすることを受け入れられず、自宅にいても心が休まらなかったようです。そのため、“母から父をなんとか離すべきだ”とずっと考えていました。しかし、父は父なりの愛情で母の苦しみをとってあげたいと思っていることに気づきました。
 そのきっかけは、平成21年12月、Yさんが浄化療法の施術に来られた時、自宅にいた父が「私が妻のために良いと思ってやっているキノコやお茶などを妻や家族は受け入れてくれない」「私のやることはそんなにダメかね?」「自分はいったい何をすればいいのか?」とやり場のない怒りをYさんにぶつけたことでした。Yさんは父の訴えをしっかりと聴いてくださいました。その後で、私たちに「お父さんがかわいそう。お父さんにも後悔が残らないように何か分担してやってもらえるようにしてあげてほしい。その方がお母さんのためにもなる」と言ってくださいました。母の亡くなったあとの父のことなど考えてもいなかった私は、その言葉でハッとしました。“父とともに母の介護を”との思いになれました。
 このことから、家族で初めて話し合いができました。それまで父は母の病院での検査に付き添わないで、病状も聞こうとしませんでしたが、それは、父が母の重い病状を受け入れられなかったからだとわかりました。それからの父は病院へともについて来てくれました。余命1ヶ月との医師からの宣告で、父は大粒の涙を流しました。この瞬間、私は父を許せる気持ちになりました。その後、父はあまり何かを強要することはなく、母のしたいようにさせてくれました。そして、私たちは一緒に介護ができました。残り1ヶ月で家族の絆が深まった気がしました。このことがなかったら、私は一生父を憎み続けたかも知れません。
 平成22年1月2日、母は呼吸の苦しさからT病院内の在宅医療支援病棟に入院しました。医師や看護師、健康生活ネットワークの方々が最善を尽くしてくださいました。
 1月19日、私は、母が自分から医師にセデーション*1を希望したことを知りました。母は、家族親族全員に最後の言葉を残し、深い眠りについてそのまま昏睡状態になるかも知れないことがわかっていたにも関わらず、Ⅴサインをして写真に収まりました。そして、母は翌20日、眠るように旅立ちました。
 亡くなったあとの母の満足気な表情を見て、私自身も“やってあげられることはすべてやった”との満ち足りた気持ちがあり、涙は出ませんでした。半年前には想像もできなかったことでした。
 母は人に頼らずに自分のことは自分でし、人のために動いてあげるような人でした。肺ガンの症状が進み、次第に人の手を借りることが多くなった母は「まさか自分がこんなに人の手を借りなくてはいけないとは思わなかった。でも、こんなにしてもらえるとは思わなかった」と言っていました。
 今、私と弟は、母が亡くなったことは悲しいけれど、悔いが残らないで過ごせるのは、母が親孝行をする時間を与えてくれたからと思っています。母は子どものころから人に甘えることをしない人だったそうですが、最後の最後に私たちに甘えてくれたように思います。甘えることを味わう時間を過ごせてもらえたかなぁと思います。

*1 セデーション(sedation) 眠る薬を使って意識を意図的に落とすこと。鎮静作用。

〔MOAへの思い〕

 もし、岡田式健康法を知らなかったら、YさんやFさんをはじめ健康生活ネットワークの方々や「やわらぎ」の支えがなかったら、今このように穏やかな気持ちでいられる自分はないと思います。最初はMOAに対して“どのような団体なのか”と思っていた弟も、今ではみなさんに心から感謝しています。浄化療法をはじめとする健康法が体だけでなく、人の心まで癒し、変えてくれたことがわかりました。家族が一つになれたのもそのお蔭だと思います。さらに岡田先生の本に学ぶことで、人の体はなくなっても魂は永遠であることをわからせてもらえました。このことが母の死の悲しみから私たちを救ってくれました。人間の尊さをわからせてくれました。
 本当にありがたく、私自身も母を見習って生きていきたいと思います。
 介護やケアをしている人、支えが必要な人のためにも、「やわらぎ」のようなところがもっと多く必要だと思います。今度は私が人を支える番だと思っています。そのために、家族の健康のためだけでなく、「やわらぎ」で浄化療法のボランティア活動をしたいと思います。そして、食セミナーや光輪花も学びたいと思っています。

〔Fさんの談話〕

 平成21年8月、Yさんから「市内にお住いで75歳になるTさん(K・Nさんのお母さん)に浄化療法を施術してほしい」と依頼され、わが家で週1回、浄化療法を施術させていただきました。
 T病院では「患者中心の医療をすすめる」統合医療に近い考え方でケアをするグループがあり、そこの医師がTさんの希望を受け入れた医療体制を考えて対応してくださいました。
 また、「やわらぎ」では、浄化療法と玄米スープや自然食のランチの提供など、健康生活ネットワークのみなさんと一緒に心を込めて対応しました。「やわらぎ」でのTさんは、一輪の花を楽しんでいけたり、一服のお茶で心の潤いを感じたりで、とても終末期にある人とは思えない笑顔を浮かべていました。また、娘のKさんや息子さん夫婦も、Tさんの気分転換のために、毎週、近隣の公園で自然にふれたり、レストランで食事をしたりして、一緒の時間を楽しまれました。
 Tさんは日ごろ、体のつらい中でも笑顔で人に接したり、感謝の言葉を述べられる方で、「自分が病気にならなかったら、子どもたちと今のように親密な関係はできなかったと思う。病気になったから家族が一つになれたと思う」と周りの人たちに話されていました。人間は一つのことに対しても考え方や受けとめ方の違いで、感謝と不平不満の両極端の気持ちになることを感じました。岡田先生は『感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶ』と言われており、私も見習いたいと思いました。
 お亡くなりになる前日、Tさんの体調はとても良くなり、「鏡を買ってきてほしい。これから毎日自分の顔をずっと見ていたいから」と言いながら、お寿司や玄米スープなど周りの人が驚くほど食べられ、家族と一緒に写真を撮り、また元気になられるのではと思えるほどの様子でした。
 担当の看護師さんが「Tさんは本当に恵まれた環境で入院されていましたね」と言われました。
 Yさんは「Tさんは体調の改善だけでなく、生命を大切にして、どのように生き、終末期を迎えたら良いかを私たちに教えてくださいました。岡田式健康法は一人のひとの心身だけではなく、その家族の考え方や生き方までも変えていけるところがすごいと思います」と話されています。
 岡田先生の本の中には、健康法の究極として、人のために尽くすことが大切であり、日々感謝の気持ちを持つことの大切さについて書かれていますが、私も岡田式健康法を楽しみながら継続して、自らのQOL(生活の質)を高め、さらなるボランティア活動を続けていきたいと思います。

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