義姉への取り組みからターミナルケアの在り方を考える

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ブラジル  F・Mさん(50歳、男性、医師)

〔余命5年以内と宣告された義姉〕

 私の義姉であるNさんは2005年、結腸ガンと診断されました。放射線療法及び化学療法を受け、6月にはガン専門病院で下腹部の手術(直腸の一部摘出)を受けました。
 しかし、2007年1月に入ると膣と直腸にガンの再発が見つかりました。化学療法と手術を受けましたが、4月にはガンが両方の肺に転移し、右横隔膜神経にも広がりました。
 Nさんは担当医師より余命5年以内と告げられました。Nさんはその事実を受け入れることができず、死への不安と恐怖心から、怒りや悲しみ、無気力感が交錯する日々を送るようになり、精神的にもうつ的な症状になっていきました。
 ご主人と2人の娘さんも、病気を受け入れることができず、ご主人も「なぜ私の妻がこんな目に合わなければならないのか」と、やり場のない怒りと、将来への不安から娘たちに厳しく当たるような状況でした。

〔スピリチュアルペインへの対応〕

 Nさんの「体の痛み」は治療で一時的に和らげることができても、「精神的な痛み」、また、自分の存在がこの世から消えてしまうことへの果てしない恐怖からくる「霊的な痛み(スピリチュアルペイン)」を解決しなければ、たとえ残りわずかな命であっても、生きている間、苦しむことになると思い、私は、Nさんが自らの死と真向かえるようにしてあげることが必要だと考えました。
 そのためにも、Nさんを始めご主人や娘さんたちに、私の思いを伝え、これ以上苦しむことのないように、そして心に安らぎと平和を得られるように、家族みんなで協力していこうと話し合いました。
 しかし、私が義弟ということもあってか、Nさんは「あなたの言うことは信じない。私は私の思ったようにする」と、当初は聞き入れてはもらえませんでした。無理に取り組むことは苦しみを深めることになると思い、一旦、距離を置くようにしました。

〔岡田式健康法を紹介する〕

 その後、私は2007年9月に仮オープンしたMOA健康増進センターの責任医師として働くことになりました。統合医療を推進するMOAの考え方を学び、西洋医学と岡田式健康法をもって病苦の解決に努めてきました。
 2008年8月にNさんを訪問した際、私は統合医療と岡田式健康法について説明しました。「個人を大事にした、個人の願いを考慮した医療の提供を進め、人間の本質を踏まえ、全人的視点に立って、身体的にも精神的にも調和の取れた生活を願い、生体エネルギー療法の一つである浄化療法美術文化法食事法の岡田式健康法を軸にした統合医療に私は従事している」と話しました。
 Nさんはこれまで必要な西洋医療はもとより、さらに様々な代替医療など、良いと言われるものはすべて試み、それでも苦しみを解消することができずにいたと打ち明けてくれました。そして、「岡田式健康法をもっと理解したい」と言われたので、私は直接体験することを勧め、8月14日に健康増進センターに案内しました。
 一番うれしかったことは、Nさんが療法士から浄化療法を受けた後、体の痛みが和らぎ、今までになく心が落ち着き、素直な気持ちになれたと話してくれたことでした。「ここ(健康増進センター)は気分が良くなり、落ち着く」とも話してくれました。
 私は、たとえ現代医学の技術をもってしても解決し得ない病に罹り、あきらめざるを得ない状況になったとしても、患者さんが本当に自分の人生に納得でき、最後に命が尽きるまで、幸せな生き方ができるようにすることが医師としての自分の務めであると思い、再び家族に思いを伝え、同意を得た上で、本人への対応を始めました。

〔岡田式健康法を取り入れた後の変化〕

 8月14日以降のNさんは、化学療法と平行して健康増進センターで毎週浄化療法を受けられました。ある日、Nさんは「浄化療法を受けるようになって、精神面、感情面がだんだんと強くなっていることを感じます。この療法は私の精神面、感情面を変えてくれています。この健康法に満足しており、大変期待しています」と話してくれました。また、「9月から、背骨の痛みを和らげる薬を飲み、少し良くなりましたが、まだ痺れを感じています。でもここに来て浄化療法を受けることで気持ちが良くなります」と話してくれ、私は浄化療法が痛みの緩和と精神的な安心感を与えていると感じました。
 健康増進センターでの継続した浄化療法の施術に加え、私は肉食が中心だった家族に対して食事法を伝え、食の重要性を訴えました。Nさんは、MOAの運営する瑞泉郷で栽培された自然農法の野菜を中心とした食事に心がけられ、家族に対しても愛情を持って料理をつくるようになりました。また、「芸術を楽しむ」ことに心がけ、家の中に花を飾り、「生活を楽しむ」ようになりました。

〔生死の意味を語り合う〕

 病気と向き合い、自らとも向き合えるようにと、私は訪問ケアを通して本人や家族の思いや悩みを徹底して聞き、精神的な不安が解消することにも努めました。
 「死」に対するテーマは「触れてほしくない」というのが患者さんはもちろん家族も同様であり、また関わる医師も触れにくいテーマだと思いますが、私は岡田先生の哲学に基づき、生死の意味についても伝えました。
 人間は肉体とともに目に見えないが霊体が存在し、霊と体との両面から成り立っていること、人間は生き変わり死に変わり善行を重ねる中で、今よりもさらに幸福な人生を送れること、例え若くして霊界に旅立っても、家族とのつながりは継続し、霊界から見守り、働くことができるなどの解釈について話しました。
 私とNさんは、こうした人としての生き方、考え方「人は何のために生きているのか」、また「霊界の存在」について繰り返し語り合いました。
 Nさんは死への恐怖感が緩和され、この世に生れたことへの感謝の気持ちが芽生えたようでした。死を「一つの通過点」と捉えたことで不安を払拭する支えになったと感じています。

〔死への恐怖心からの解消〕

 その後、Nさんの体は衰弱し、歩くのも大変な状態になり、10月2日には、呼吸困難を起こして再入院しました。しかし、Nさんは「現在の私は大変危険な状態であると感じます。良くなってもあまり長続きはしないと思います。でも、もし岡田式健康法を知らなければもっと苦しんでいたと感じています。今は病院に入院していますが、病院で浄化療法を受けることができることに感謝です」と述べられました。
 10月7日には、「入院して、体の回復に挑み、体的には大変な苦しみもありましたが、入院中にいろいろ学ぶことができました。今まであった不安感がとれ、自分が別人になったことを感じ、これが本当の自分であることに気づかせていただきました。あなたから人として生きていく上で、また死を迎える上で大切なことを教えていただき、とても勇気づけられました」「家庭に和合をもたらしてくれ、いろいろなことを教えてくれ、本当にありがとう。心から感謝しています」と、この10週間に対する感謝の言葉に、私は涙をこらえるができませんでした。
 そして、10月9日に退院されてから2週間後の2008年10月24日の午後9時、Nさんは安らかに旅立ちました。

〔ターミナルケアの取り組みを通して〕

 今回の義姉への対応を通して一番の変化は、末期状態にあった患者の心が変わったことでした。
 Nさんは生前、「今までの人生の中で、生きていることへの感謝や生活を楽しむことの大切さを忘れ、物質の豊かさを求めることが幸せだと考えてきた。そうした生き方は、自然の摂理を無視した生き方であったことに気づいた」と話してくれたことがありました。確かにNさんは、豊かな生活を求めて人一倍努力し、弁護士の資格を取得してからは、多くの収入を得るために働き続け、結婚し、出産した後も仕事を中心とした生活を送っていました。他人が見ても羨むような生活をするために一生懸命に働くことが、そのまま家族の幸福に繋がるものと信じ、生活を続けていました。
 そうしたNさんの考え方が、岡田式健康法を体験し、岡田先生の哲学を知ることで変わりました。実際に実践することで、精神的な喜びや満足感が得られ、そして家族が和合し、気持ちも一つになったのだと思います。
 ターミナルケアについて、現代医学ではできるだけ抗ガン剤を少なくするための研究、寿命を延ばす研究、生活の質を上げながら死 を迎えることを研究しています。私はそのような、身体的、精神的、社会的なケアに加えて、霊的(スピリチュアル)な面からも考えることが重要であり、また人生の終わりを平穏に幸せに送れる予防プロセスを見直す必要性を感じています。
 また、MOA健康増進センターと一体となった健康生活ネットワークによって、一人の患者を大切にしていく医療が、今のブラジル社会にも必要に思えてなりません。だからこそ私は、健康増進センターを通して、一人の患者の「からだ・心・魂」が癒される統合医療を推進することを使命として現在、努力しております。
 そうした点を踏まえ、MOAが説いている岡田式健康法を中心とし、これからも患者さん一人ひとり、またその家族の思いを大切にしながら、「人生を幸せに生きる生き方」をともに求めてまいりたいと思います。

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