甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の苦しみから解放される

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北海道  S・Tさん(56歳、女性)

〔甲状腺機能亢進症の発症〕

 平成17年6月、園芸コーナーの仕事をしている職場の仲間から「痩せたんじゃない?」と度々言われるようになりました。もともと体系は痩せ型で、ダイエットをしている訳でもなく、体重もそれほど変化していなかったので不思議に思いました。そして、最近、体調が優れない日が続いていることが気になり始めました。春ごろから、何とも言えない気だるさがあって、毎朝、起きるのに一苦労していました。また、激しい運動をしている訳ではないのに顔によく汗をかき、仕事をしている時には背中がすごく熱くなり、“これって何だろう”と思っていました。お通じの方も、1日に2~3回下痢をするようになっていました。
 7月に入ると、頻脈や動悸もするようになってきたので、上司に「1週間ほどお休みをもらいたいのですが」とお願いしました。上司も「仕事が一段落したところなので、リフレッシュの意味でも休んでください」と許可をいただきました。
 しかし、2~3日休んでも、一向に体はスッキリしませんでした。不安になった私は、7月7日、市内の内科病院で診察を受けました。そこで血液検査した結果、「甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の疑いがあるので、専門機関で検査をした方がよい」とのことでした。
 私はこの病気のことをよく知っていました。亡き義父も長年、重い亢進症を患ったことがあり、看病していたのです。亢進症は甲状腺ホルモンの分泌量が過剰となる免疫性の疾患で、私の異様な汗は新陳代謝の異常によるものだったのです。
 その夜、夫に病状を説明しました。夫もとても驚いていました。そして、「このままの生活ではいけない。仕事をすぐに辞めなさい」と言われました。会社にその旨を伝えると、「週に2日でも3日でも働いて欲しい」と頼み込まれましたが、まずは命を大事にしないといけないと思い、退職することにしました。

〔家族で浄化療法によるケアに取り組む〕

 私は自分の体のことをMOAスタッフに相談し、札幌市の専門のクリニックを紹介してもらいました。8月4日に受診し、亢進症と診断されました。ストレスと更年期障害が重なってしまったことが要因の一つとのことでした。思い返すと、確かに園芸の仕事は4月から6月が繁盛期で、このころ、ベテランの職員が辞めてしまったことで、私の仕事の量が増え、肉体的にも精神的にも負担を感じていました。
 亢進症は入院して投薬治療をする場合が多いのですが、私の症状はそこまで重度ではないと言われました。また、この医師は、MOA札幌クリニックの非常勤医師でもあり、岡田式健康法に理解を示されていたので、しばらくは投薬を見合せて、浄化療法によるケアをしながら様子を見ることになりました。家に帰ると、さっそく夫と義母、三男の4人で話し合いました。夫や義母は、「家族で支え合って浄化療法でケアしていこう」と言ってくれました。
 以来、夫は仕事を終えて疲れているにもかかわらず、毎日浄化療法を施術してくれました。三男も部活で帰宅が遅いのですが、お願いすると快く施術してくれました。
 私の父は生前、「何かあった時は姉妹で力を合わせて乗り切ることが大事」と常日ごろから言い続けていました。そのため、市内に住む2人の姉にも相談しました。毎日のように、姉の家まで足を運んでは、1時間半ほど施術を受けました。体が重だるく、腰のあたりや首筋、心臓の裏がつらかったので、この3箇所を重点的に施術してもらいました。また、MOAセンターにも行って、スタッフの方や健康生活ネットワークのみなさんからも施術を受けました。
 施術をいただいているうちに、徐々に体のつらさが消え、気づくと足のむくみも取れて、元に戻っているという実感がありました。

〔健康の快復を感じる〕

 平成18年の春ごろから、新陳代謝の異常から起きていた汗も出なくなり、横になって休まなければ治まらなかった頻脈も正常に戻ってきました。足のむくみも取れて“元に戻っている”という実感がありました。
 そして何よりも改善していると感じたのは、家庭菜園をした時でした。
 私の家には1反ほどの広さの家庭菜園の畑があり、自給自足ができる程の野菜が収穫できます。亢進症になった当初は、苗床を造るために畑の土を耕す時、スコップで2、3回掘っては体を休めなければいけない程のつらさがあり、しばらく畑仕事を休んでいました。でも、春にやってみると、疲れを感じることなく掘り続けることができるようになりました。“だいぶ体調が戻ってきた”と実感することができました。
 平成16年にMOA美術文化財団(現:岡田茂吉美術文化財団)の「美術文化インストラクター」の資格を取り、翌17年4月から自宅で光輪花クラブというお花の教室を開いていました。亢進症でしばらく休んでいましたが、再開できるようにもなり、新しい生徒さんも入りました。
 亢進症と診断されて1年が経過した平成18年6月9日、再び札幌に行って診察を受けました。医師によると、血液検査の数値はだいぶ改善されているとのことでした。手の震えや頻脈もなくなっていたので、「顔色とか、体の症状も最初のころと比べて、改善しているようだ。元の生活に戻っても大丈夫。ただ、検査を年に1、2回は定期的に受けるように」と言われました。

〔亢進症をきっかけに家族がまとまる〕

 亢進症と診断された時は大変なショックでした。しかし、すぐに義母や夫、息子たちが家族会議を開いて話し合ったり、私の看病をする中で、家族がまとまったような気がします。
 義母にはご飯の支度の時、力の入る作業まで手伝っていただいたり、姉夫婦と一緒に庭の草むしりや家庭菜園を手伝っていただきました。大変な迷惑をかけて申し訳ないとの思いとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。もし、誰も手伝ってくれなかったら収穫は減り、家族の健康や家計にも影響があったでしょう。
 自立した長男と次男たちからも、私の体を心配してよく電話をかけてきてくれるようになりました。また、「丈夫で健康なのは、お母さんが健康に産んでくれたおかげ。感謝しているよ」と、感謝の言葉まで聞くことができました。
 私自身は大きな病を抱え、大変な思いをしましたが、これをきっかけに家族が何でも話し合えるようになりました。また、今まで大きな病気をしないで生きてきたので、病気を抱える人と接する時の心配りや気づかいもできるようになりました。

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