鹿児島県 K・Tさん(44歳、女性)
〔中学校の家庭教育学級で料理教室を行う〕
私は平成20年4月に二男が通う中学校の家庭教育学級に入りました。21年度の家庭教育学級の開講式(4月)の当日、学級長が「副学級長になってほしい」と言ってこられましたので、私はこの時と思い、「副学級長を受けてもいいけど、F先生の料理教室ができないかしら」と提案してみました。学級長は、その場で教頭先生にお話しされて、学級全体に諮(はか)っていただき、年間行事に取り入れていただくことになりました。
郷土出身で鹿児島県の食育シニアアドバイザーとして活躍しておられるF先生とは、WSAA(世界永続農業協会)*1鹿児島支部主宰の食育セミナーを始め、何度か講演会に参加する機会がありました。鹿児島の食材と郷土料理の研究、また専門のお茶料理や子どもの食事など、F先生のお話しを伺って、もっと大勢の方にも聞いていただきたいと常々考えていました。
さらに夫から、平成21年の自動車整備業の新年会の講師を探しているという話があり、夫がF先生のことを役員さんに紹介すると、すぐにお願いしたいと連絡がありました。WSAA鹿児島支部の事務局長さんにご助力をいただき、事務局長さんと私たち夫婦の3人で大学を訪ねて、講演を依頼しました。当日の講演会には130人の会員が集まり、反響も良く、責任を果たせたこともあり、私たち夫婦は感激しました。
平成22年2月に、家庭教育学級で念願のF先生の料理教室を開催しました。中学校の先生が5人、保護者が15人参加されました。参加された保健の先生は「私たちが今やっている躾のあり方は子どもたちと一緒にやろうという感じだけど、F先生が言われるような昔の躾のあり方(子どもたちにやらせるあり方)であってもいいのかなと思いました。また受講したいから、企画してくださいね」と、私に発起人になってほしいと言われ、参加された保護者の方々も「当たり前のことを何も知らなかった自分を反省しました。毎日の手抜きの生活を反省させられました。是非またいろいろ教えてください」「現在の食事のあり方について考えさせられることがたくさんありました」「今回使用した調味料はどこで売っているの」「また受講したい」と言われ、大きな力となりました。
*1 国の基となる新しい価値観に立つ農業の永続性を確立するため、各種講演会の開催、目的を同じくする団体・個人との交流など、様々な活動を推進している団体。(日本本部:静岡県伊豆の国市 大仁研究農場)
〔2回目の料理教室を高校で行うことになる〕
卒業式を間近にした3月に、二男の中学校で生徒の自殺という大変ショッキングな事件が起こりました。この事件で22年度の家庭教育学級の開講式もなくなり、料理教室を提案しようと思っていましたができなくなってしまいました。
また4月より二男が高校生になり、私も家庭教育学級を終了することになりました。しかし、2月に開催した料理教室が好評で、友だちが別件で中学校を訪ねた時に、先生から「料理教室はどうなっていますか?」と質問されました。また料理教室の際にF先生から「また呼んでくださいね」と言われていたこともあって、料理教室に参加した友だち3人と話し合いを続けていきました。
料理教室の場所はどこにするのか、具体的に校区の公民館にするのか、保健センターにするのか、日程は土曜日の方が休みなのでいいのではと話し合いました。そしてF先生の日程を聞いて、6月26日の土曜日で予定を立ててみました。その時に先生の方から「場所は中学校が良いんじゃないの」と言われたので、友だちと連絡を取り合って中学校に場所を貸してほしいとお願いに行きましたが、既に家庭教育学級ではないので難しいと返事が返ってきました。これはとてもショックでした。
その後、保健センターや公民館にもあたってみましたが、良い会場がなかなか見つかりませんでした。
みんなで話し合っているうちに、子どもたちが通っている高校にお願いしてみようということになり、後日都合のつく友だちと私と2人で行きました。
事務所で「校長先生はいらっしゃいますか?」と尋ねると、「校長は今会議中です。30分くらいしたら終ると思います」と言われましたので、待たせてもらうことにしました。車の中で待ちながら、ドキドキしていました。
校長先生は会議が終わり、次の用事があるようでしたが、「どうぞ」と私たちを校長室に招いて、話を聞いてくださいました。校長先生は「私は構わないですよ。調理室は生活科の先生が管理しているので、生活科の先生に話してみてください」とすぐに連絡を取ってくださいました。
担当の先生が来られて、「高校の教室は生徒たちが使うもので、一般の方に貸すのは難しい。それに土曜日は休みよ。代休をくれるの?」と、強い口調で言われました。私たちはオドオドしながら「子どもたちも交えてしたらどうでしょうか?」と言うと、「夏休みではどうなの?」と言われ、「夏休みでもいいです」と私たちは冷や汗をかきながら必死に返事をすると、「それならいいわ、夏休みなら」との返事に、やっと決まった、良かったと友だちと喜んで帰ってきました。
〔弁当についてのアンケートをとる〕
日程も8月9日に決まり、事前に「弁当について」のアンケートをとりました。内容は、誰が作ったものか、具体的に、母親なのか、買ったものか。「母が作ってくれる」と答えた方には、主な食材は手作りか、冷凍ものか、買ってきた惣菜か。母が作ってくれるお弁当に対してどのように思っているのか、作ってくれた人に感謝の言葉を伝えているか、等々で、これを生活科の先生に渡すと積極的に全校生徒13クラス、約400人にアンケートをとってくださいました。
このころから生活科の先生が変わってきたように感じました。後日、先生はアンケートを集計し、綺麗なグラフがたくさん入った小冊子にして、職員会議で全先生に配布してくださいました。
事前アンケートでは母親の作るお弁当の食材は、その多くが冷凍のものでした。このアンケートをF先生にも見てもらいました。そして冷凍ものがあまりにも多く、野菜がほとんどないという現状も分かりましたので、開催時の8月にあわせて、夏野菜を使ったお弁当づくりとして、参加者を募集していくことになりました。
募集するに当たって、学校側から団体名を訊ねられたので、友だちと相談して、私たちのような考え方が多くの人に拡がっていくようにという思いから、「たんぽぽクラブ」としました。
〔高校での料理教室の様子〕
料理教室の当日、高校の先生9人、中学校の家庭科の先生1人、他校の先生1人、高校生8人、子どもたち6人、大人12人の合計37人の参加となりました。
はじめにF先生が、お弁当のおかずの献立レシピを説明されて、手早く美味しく作るためのポイントを実際に調理しながら解説されました。「冷凍ものを使わなくても、ひと手間かければ簡単にできるのよ」と、手際よく進めていかれます。
説明が終わってから、参加者はグループに分かれて調理しました。高校生のグループ、子どもたちのグループ、大人のグループが2つと自然にグループができて、先生方は分かれて各グループに入ってこられ、みんなでワイワイ言いながら楽しく作りました。できたおかずを各自が持参したお弁当箱に詰めて完成です。
その後、F先生のお話がありました。先生は、楽しく、しかも美味しく日持ちする調理のあり方を、昔ながらのあり方、おばあちゃんの智慧という形で具体的に紹介していかれました。また、昔の弁当箱を置いて、各自が持参した弁当箱との大きさの違いを比較され、さらに、ごはんと副菜の量が逆転していることなどを挙げられました。「もっとご飯を食べることが大切です。しっかり食べて、しっかり動くことが健康の基本ですよ」と話されました。昔から伝わる日本の食文化を見直してみて、現在にも通用することがたくさんあることを教えてくださいました。
私は料理教室で、1つこだわっていることがあります。それは自然農法の食材や、それを素材とした調味料を使うことです。“本物の味を知ってもらいたい、そこから岡田式健康法(食事法)を知らせたい”という思いです。F先生からも、「良い食材を準備されましたね」と言ってくださいました。
さらに「みんな、たんぽぽクラブに入りなさい。また、呼んでください。多くの人に知らせたいことがたくさんあるの。私はこの町の出身だから」と言われました。
〔料理教室の反響〕
終了後に大勢の参加者から喜びの声を聞きました。中でも高校の生活科の先生は、「私が思っていた料理教室とは全然違いました。生徒たちが自分から動いている姿にびっくりしました。これだけの人数を動かすことは凄いことです。材料も良い物を使われていて、安い参加料でみなさんの持ち出しが多かったのではないですか?もっとたくさん参加料をもらっても良かったのに。こんなに良いことなら、新聞社に連絡して取材に来てもらえば良かった。本当に眼から鱗でした」と大変な喜びで、南日本新聞の販売所ミニコミ紙「薩摩路」に原稿を書いてくださいました。次回は冬休みに開催することも決まりました。
中学校の家庭科の先生は、「前回の料理教室の時、F先生が予定の時間よりも早く来られていたので、たぶん今日も早く来て準備されると思い、私でも手伝いになるかなと思って早く来ました。今回は段取りもうまく進み良かったですね。前回は私の段取りが悪くてすみませんでした」と言われました。他校の先生も「自分の学校に帰って、今日習ったことを伝えていきたいです」と言われていました。
後日、一緒に取り組んだ友だちは、「娘が中学校の時は、授業参観に行ってもいつも反抗的な姿しか見せずに、全く心ここにあらずというような娘の素振りを見続けていたので、今回も内心同じ態度をとるのではと冷や冷やしたけれど、できてきた写真を見ると、真剣な表情で、本来の娘の姿が写っていて本当に嬉しかった」と涙ぐんでおられました。
〔目の前に起きてくることに一生懸命やっていく〕
料理教室を進めてきた友だち4人の間には、過去いろいろなことがありましたが、その都度、前向きにやってきたことが、信頼関係を培ってきたように思います。
4人は子どもが小学校時代から保護者会の役員をやってきた仲間ですが、この中の2人の間には、子どもたちが中学校の時に、学校でイジメのトラブルがあった親同士でした。当時は、私も間に入って、本当にどうしたらいいのだろうかと悩みました。何とかしたいと思い、キッチンガーデンに誘ってみたり、鹿児島療院*2に案内したりと、いろいろやってきました。その中から少しずつ和解に向かっていきました。
イジメにあっていたK君は、二男と一緒に、わが家で光輪花クラブというお花の教室に参加するようになりました。K君は花を通して人の美しいところ、良いところを見ることができるようになり、やがてイジメをした子も受け入れられるように変わっていきました。
また二男は、中学校の弁論大会で「幸せのちから」というタイトルで、家族や友人、学校生活での感謝とともに、光輪花クラブの歓びや充実感を発表しました。友人からは「花をやっているんだ」と驚きと興味を持たれたようですが、そのことがきっかけとなって、卒業までの間、二男は教室にお花をいけこむことができました。
今回の料理教室を進めてきたもう一人の友だちは、町が進めている子育てのグループの活動にも参加しておられ、私に紹介してくださって、お花や茶道のサークルが子どもたちにできるようになりました。
十数年前から校区の文化祭「はなづら祭り」に、MOA健康生活ネットワークのみなさんと、「山月」の名称でいけばなを出展してきましたが、平成21度は抹茶の席も設けることになり、子育てグループの子どもたちが浴衣を着て、お運びを手伝ってくれました。
こうして、目の前に起きてくることに一生懸命やっていく中で、人がつながり、社会が今何を求めているのか、実感していくことができたように思います。
この時期、夫の父が入院し、毎日のように病院に通いました。病院は個室で岡田式浄化療法を施術すると、義父は「ありがとう。ありがとう」と喜ばれ、夫からも「何もかもあなたのお蔭。感謝しているよ」と言われるようになりました。
今年(平成22年)は、長男の受験の年で、センター試験では思うようにできなかったと落ち込んでいましたが、夫と一生懸命励まし、結果、大学にも無事合格し、鹿児島に居ることとなりました。新しく高校生活を送っている二男とも、家族4人充実した毎日を過ごしています。
*2 鹿児島療院=現・南九州療院