悪性骨腫瘍末期の方へのターミナルケア

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佐賀県  T・Iさん(65歳、男性)

〔末期ガンのYさんを鹿児島療院*へ案内〕

 平成19年2月1日のことです。Yさん(56歳、女性)が妹さんと一緒にわが家に来られ、「今日、病院でガンと診断されました」と相談を受けました。医師の診断は「末期の骨盤腫瘍であり、進行が進んでいるために手術はできない」と言われたとのことでした。
 私はYさんに鹿児島療院(現:南九州療院)のことを紹介し、岡田式健康法を体験することを勧めました。
 その訳は、Yさんから相談を受ける1ヶ月前、私は鹿児島療院に3日間入院して、療院というのは病気だけでなく、心まで癒されるところだなと感じていたからです。
 親友のNさんが交通事故に遭って亡くなってしまったショックから体調を崩していた私は、療院で岡田式健康法を体験して、体調が回復するとともに、精神的にも満たされ、心身の両面から癒しを実感することができました。何よりも院長のM先生の診察や、看護師や療法士のスタッフが一人の患者を大切にする真摯な姿勢にとても心を打たれました。療院は、病気症状を取り除くだけでなく、心の状態や家庭での生活習慣、社会的環境など多方面に原因を見つめ、一人ひとりに最もふさわしい治療法を一緒に考え、それを提供してくれました。
 地元病院の先生から手術はできませんと告げられたYさんも、“気分が変わるのではないか。癒されてほしい”と、心から願ってのことでした。さらに、Yさんに対して、私たちが今何をしてあげることができるのか、何が必要なのか、療院の院長に実際に診察していただくとともに、ご本人はもちろん、家族や関わる私たちが療院と同じ考え方を共有することが必要と考えました。
 そのことをお伝えすると、Yさんも妹さんも大変喜ばれ、早速2月7日から3日間入院することになりました。

〔Yさんの心境〕

 Yさんは自分の感情をあまり面に出す人ではありませんでした。しかし、療院を退院する日、看護師さんが「入院中にYさんが泣いていた時があったよ」とそっと教えてくれました。命が失われていくことに対する恐怖からでしょうか。私だったら泣き叫んでいたかも知れません。
 退院日、院長のM先生の指示を受けて、専任療法士の方と今後のケアのあり方について確認し、私たちは鹿児島療院を出発しました。
 帰りの車中、“彼女の心が少しでも癒されれば”と思い、私は「いい日旅立ち」などが入った、私の好きなフルート演奏のCDをかけながら佐賀に向いました。しばらく走っていると、誰かがCDに合わせて歌っている声が聞えてきました。その瞬間は私の空耳かなと思いましたが、しばらく走っているとまた歌声が聞こえてきました。Yさんが小さな声で歌っていることに気づきびっくりしました。彼女は家に着くまでずっと口ずさんでいました。

〔健康生活ネットワークでYさんをケアする〕

 お2人が相談に来られてから半月も経っていないころだったと思います。妹さんが一人でわが家に来られ、「地元病院の担当医の先生から、思った以上に進行が早い、余命半年というところでしょう。お姉さんが食べたいものがあれば、好きなものを食べさせてあげてください。望みがあれば、極力かなえてあげてください。と言われました」と話されました。そのことを聞き、私たち夫婦は返す言葉もありませんでした。
 Yさんはひとり暮らしですので、病状が進めば生活するにも不便があるのではないか、妹さん一人で世話をするのは大変だと思い、健康生活ネットワークのみなさんと相談し、Yさん姉妹に「私たちにも一緒にお世話をさせていただきたい」とお伝えしました。Yさんも妹さんも「本当にみなさんに迷惑をかけますが、どうかよろしくお願いします」と感謝されました。
 ネットワークでのケアが始まり、午前中は私たち夫婦とYさんの妹さんが、午後は健康生活ネットワークの方々、夜はMOA会員の青年さんが中心になってケアに取り組みました。ボランティアですから強制はできませんし、みなさんもそれぞれに仕事や生活があるのですが、本当に多くの方が自主的に時間を割いて取り組んでいかれました。
 療院と常にメールを通じ連携を取りながら、院長のM先生の指示のもとに岡田式健康法でのケアを進めました。浄化療法の施術は、健康生活ネットワークの全員が療法士の資格を持っておりましたので、施術日誌を作って浄化療法の施術時間やその時のYさんの状態など書いて、次の人に引き継いでYさんの状況を常に共有するようにしました。浄化療法は、最低でも1日6時間以上施術するように心がけました。
 Yさんは私たちの顔をみると安心した表情をされるのです。そして「ありがとう」「すいません」といつも言われていました。「私一人のために、こんなにも大勢の人が来てくださって、こんなにありがたいことはない」とみなさんに感謝されていました。
 また、毎週金曜日にはネットワークの仲間が集まってミーティングをしています。ひとり暮らしで体が思うように動かせないYさんに対して、食事を作ってあげようとか、家に花を飾ってあげよう、洗濯や家の掃除をしてあげようという話も出て、みんなで取り組みました。食事についてはガンの場合、動物性の食事は控えた方が良いと聞いていましたので、自然農法で栽培した野菜などの食材を中心にして献立を考えました。

〔静かに眠るように息を引き取る〕

 平成19年5月、Yさんは地元病院から紹介をいただいた緩和ケアのできるS病院に入院されました。
 緩和ケア(ホスピス)を行う病院ですから、Yさんの希望はほとんど取り入られました。Yさんの希望で浄化療法を行なうことや、食事を差し入れることについても、病院は全面的に了解され、私たちの行いを見守ってくださいました。
 Yさんの妹さんが毎日、そばで看病する傍ら、私たちのネットワークも朝昼晩と交代しながら、面会時間に浄化療法の施術をしました。Yさんが食べたいという食事を作ってお届けしたり、お花をいけることも続けました。
 信じられないことですが、Yさんは亡くなる日の朝まで食欲がありました。ガンの患者さんの中には、最期は薬が効かなくなったり、食事も喉を通らないなど苦しまれている方が多いと聞きます。現にYさんの隣の病室の方を見ていると痛みや薬での幻覚もあったりして、つらい思いをされている様子でした。しかし、Yさんの場合は、痛みを1から5までの数値で表すとすると、痛みがあっても「2とか3程度」と言っておられました。また、痛みが出た時は、1時間ぐらい浄化療法を施術すると、毎回と言っていいほど「楽になった」と言われて、わずかな時間ですが気持ち良さそうに眠っておられることもありました。また、亡くなる直前まで妹さんと普通に会話もできていたそうです。
 そして、平成19年7月12日、Yさんは眠るように静かに息を引き取られました。
 妹さんから「ネットワークのみなさんがまるで家族のように取り組んでくださった事に、姉も心から感謝しておりました。ありがとうございました」と、お礼がありました。
 その後、妹さんは「私たち姉妹は大勢の方にお世話になりました。困っておられる方があれば今度は私がその人のために尽くしていきたい」と言われて、病気の方に浄化療法を施術し、また人からの相談に心を込め、ご主人と対応しておられます。
 苦しむ様子もなく旅立たれたYさんに対するターミナルケアは、鹿児島療院との連携とネットワークのみなさん一人ひとりが、ケアのあり方をしっかり考えて取り組んでくださったからできた事だと思います。自分はYさんに対して何ができるのか、関わった人たちそれぞれが役割をハッキリさせて協力して取り組むことができたと思います。一人ひとりの思いと行動がいかに大切かを実感させていただきました。私たち夫婦だけではとてもYさんに関わる事はできなかったと思います。
 一緒に取り組んでいただいた健康生活ネットワークのみなさんに感謝しています。
 
*鹿児島療院=現・南九州療院

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