石川県 S・Aさん(70歳、女性)
〔健康志向の私〕
もともと健康志向の私は、数十年前、ある調味料が社会で問題になった時から、食事に気を配るようにしました。夫が化学調味料をかけたり、使わないとご飯が食べられないほどでしたが、以来、化学調味料を使うのをやめ、食材も無農薬や有機農法で栽培している農家さんやお店から取り寄せるようにしました。
私はスポーツ大好き人間でもあり、学生時代にはバレーボール、ママさん時代は2人の娘たちのPTAの方や、町内の方とソフトバレーやソフトボールチームを作って、スポーツを続けてきました。今も一応アウトドア派で、スポーツジムに通ったり、夏は山登り、冬はスキーをしています。そのお蔭で、私はこれまで大きな病気をしてこなかったと思っています。
そのお蔭で、私はこれまで大きな病気をしてこなかったと思っています。しかし、平成19年に健康診断で心電図に乱れが見つかりました。後日、入院して風船治療を行いましたが、カテーテルが血管に上手く入らず中止になりました。その後も、私に自覚症状がなく、日頃から運動もしているということで、そのまま退院することになりました。
体内にチューブを入れるという大きい検査は生れて初めてでしたので、緊張して体が震えました。また、検査後は脱水症状を起こして大変な思いをしたので、私は“もう検査を受けたくない、病院にかかりたくない”と思いました。これまで、食事も気をつけ、運動もしてきましたが、それだけでは駄目なら、もっと健康になることをしようと考えました。
〔“岡田式健康法で健康を維持していこう”〕
平成19年8月、町内のソフトボールチームで知り合ってから、十数年と仲良くしていただいているMOA会員のYさんから「健康増進セミナーに来ませんか」と誘われました。
体に不安を抱えている最中でしたし、健康には食が一番大事だと思っていた私は、健康増進セミナーでは食事法が体験できると聞いて、参加しました。
町内会館で開かれた健康増進セミナーでは、スライド映像を使って岡田式健康法の解説を聴き、その後、それぞれの体験をしました。MOAの自然食品は以前から購入していて、自然農法のお米と野菜の美味しさは知っていましたが、食事法の説明で「健康のための食」であるという考え方を聞いた時は、私の考え方と一緒だったので特に印象に残りました。
後日、金沢療院にも案内していただきました。そこで浄化療法を受けたのですが、前からあった肩甲骨のコリや痛みが次の日からなくなるという体験をしました。金沢療院のクリニックで診察も受けましたが、近くの総合病院と連携して診療していることや、統合医療を進めている療院のあり方を聞いて安心感を覚えた私は、“岡田式健康法で健康を維持していこう”と決め、11月にMOAへ入会しました。
〔浄化療法の体験を通して感じたこと〕
それからは、Yさんの地域で毎月開催している健康増進セミナーや、市内全体で3ヶ月に1度開催される健康増進セミナーに参加して、岡田式健康法を体験してきました。さらに学びの場に参加して、浄化療法を中心に岡田式健康法を勉強したり、体験したりしていますが、とても楽しみにしています。
平成20年2月より5ヶ月間、金沢療院や健康増進セミナーでボランティアができる療法士の資格取得講座を受講しました。講義では、人間という存在や病気の捉え方、浄化作用という考え方、浄化療法は自然治癒力を尊重し発揮させる方法であることなど、新たに聞く話に浄化療法の奥の深さを感じました。実習では、スタッフから、熱やコリ、圧痛の確認の仕方を教わりました。
資格講座終了後は会員の集いや、健康増進セミナーの療法士のボランティアで、私が浄化療法を施術する機会が増えました。受けた方から「体が温かくなった」とか、「痛みが取れた」などの感想を聞くと、改めて浄化療法の効果を感じます。
これまでの体験から、私は、“こんなに素晴らしいことを、より多くの方に伝えたい”と思うようになりました。
昔の仕事仲間で長年仲良くお付き合いしているKさん親子のことが頭に浮かんだ私は、健康増進セミナーに案内しました。スタッフから岡田式健康法の説明をしてもらい、実際に体験もしていただきました。その後、息子さんのつらかった足腰が、続けて浄化療法を受けると、非常に楽になったということで、平成21年4月、親子でMOAに入会されたと聞きました。また、農家のNさんは、浄化療法と自然農法の話をすると興味深く聞かれ、自分も自然農法を実施したいので作り方を教わりたいと言われるようになりました。
〔精神的に不安定になったTさんの話〕
平成22年7月初旬、以前勤めていたお店のTさん(40代、女性)から電話がありました。経営する食堂が忙しいので「手伝って欲しい」とのことでした。私はTさんのお店を辞めてからも、時々は食べに行っていましたし、その折には「忙しかったら手伝うから連絡してね」と声をかけていました。電話が来た時、私の予定は空いていたので、すぐにお店へ伺いました。
昼の営業時間が終わり、一段落がついて休憩していると、Tさんから「精神的にとても不安定になっている」と悩みを打ち明けられました。仕事をしていた時のTさんは、悩んでいるような素振りも見せていなかったので、私はびっくりしました。
話を聞くと、Tさんのご主人は以前、病気で2ヶ月間ほど入院したことがあり、その間、Tさんがお店を一人で切り盛りしていました。ご主人が退院して仕事に復帰したことで、緊張の糸が切れたのか、それから精神的に不安定な状態となり、夜も眠れず、食事も喉を通らない状態になったそうです。家事や買い物までできなくなってしまい、病院にも行ったそうですが、どこを調べても異常はなく、それを聞いたご主人から「調べてもどこも悪くないんだから、それは『わがまま病』だ」と言われたこともあるそうです。
「どうしたら良いのか分からず、不安な気を紛らわそうと自分の腕をつねっている」と話すTさんの腕には青あざが見えました。
泣きながら話すTさんのことが可哀想で見ておられず、「私は浄化療法ができるんだけど受けてみる?」と言うと、「とにかく助けて欲しい」と言われました。
何の気なしに、口にぱっと出してしまいましたが、肩や腰がつらいと言っている人にするのとは状況が違いますから、正直自信がありませんでした。私は、以前、浄化療法をしたことをきっかけに知り合いになったNさんに電話をしました。Tさんの様子を話し「手伝ってもらえるかな」と相談すると、Nさんはすぐにきてくれて、2人で療法士講座で学んだように、熱やコリ、圧痛のある箇所を探査し、浄化療法を施術しました。
2時間ほど施術をしました。Tさんは泣きながら胸の内を喋り続けていました。この日だけではどうにもならないと思い、しばらくは浄化療法を続けることにしました。
〔ほぼ毎日のようにTさんのお店に通う〕
Tさんの話では、病院で耳鼻科にかかった時に自分の思いを話したところ、「カウンセリングみたいに話を聞いてあげればいいんだけど、僕には時間が取れないのです」と言われたことがあるそうです。また、息子さんが店を継ぐために、高校を卒業した後に料理修行で家を離れたのですが、これまでもご主人との会話が少なく、息子さんに寄りかかっていたTさんは、心に穴が開いてしまって情緒不安定になったような印象を持ちました。ですから、Tさんにはまず好きなだけ喋ってもらい、私がそれを聞いてあげるのが一番かなと思いました。
私は昼の営業が終わった後の休憩時間に合わせて、1人で毎日のように行きました。1時間ほど浄化療法をするのですが、最初の1週間は、とにかくいろんなことを喋っては泣いての繰り返しでした。時には「抱きしめて欲しい」と言われたこともありました。安心するらしいのです。“わが子でさえ久しく抱きしめてないのに”と恥ずかしくなりながらも、子どもみたいに抱きしめてあげました。
2週間から1ヶ月経つと徐々に症状が落ち着いてきたように思いました。泣く回数が少なくなり、「夕べは眠れた」「朝はご飯が食べられた」と話してくれるようになりました。私は「人間は寝ることと食べることが大事だから、そういうことができたのは良かったね」と一緒に喜び合いました。
Tさんから「今日も来てくれてありがとう」「こんな暑い日によく来てくれたね」と言われたこともありましたが、自分でもよく行ったなと思います。私も仕事や用事はあったのですが、Tさんの休憩の時間が迫ると “落ち着くまでは私が行かなきゃいけない”という使命感を帯びていたように思います。
Tさんは「自分でも施術ができるようになるなら」と、7月末にMOAに入会しました。この時はまだ本調子ではなく、治りたい、助かりたい一心という様子が伺えましたので、8月もほぼ毎日、私はTさんのお店に通い続けました。
〔心も体も同時に癒してくれる浄化療法〕
9月、10月は週4日程度通いましたが、普通の状態になってきたように見えました。Tさん本人も悩んでいた時と比べて、眠れるようになり、食欲も出てきて、泣くことも減り、腕のあざも無くなって元に戻ったと大変喜ばれていました。年末になると顔色もよく、笑顔も見られるようになってきて、「100%まで行かないけれど、いい意味で力が抜けてきて、楽になってきた」と話してくれました。
Tさんの変わりようを見て、浄化療法は心も体も同時に癒すものなのだと、その凄さに驚きました。最初は不安だったTさんへの取り組みですが、振り返れば、毎月開催している「MOA会員の集い」の時に、スタッフから浄化療法の仕方や精神的に不安定な方の接し方などのアドバイスが力になりました。
また、岡田式健康法で人のために尽くすボランティアができるということは私にとって大きな感謝です。人を喜ばせ、幸せにすることができるというのは私自身の幸福感にも繋がることを実感しました。