子宮頸ガンと後遺症の克服

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沖縄県  N・Kさん(67歳、女性)

〔子宮頸ガン2期と告知される〕

 平成9年の春ごろ、急激に腕の付け根に痛みが出て、寝返りもできないほど動きづらくなりました。リウマチかもしれないと思い、沖縄療院のクリニック部門のI医師に診ていただきました。検査の結果、「リウマチの検査ではマイナス(陰性)だったが、血液の数値がおかしいから、すぐに婦人科の病院に行って診てもらいなさい」と勧められました。
 しかし、私はそのころ、仕事のことで精神的に落ち込み、自分の体を真剣に見つめる余裕はありませんでした。ようやく近くの病院で診察を受け、検査結果を聞きに行ったのは平成10年1月6日でした。
 その時、医師から「家族は来ていますか?」と尋ねられました。私は、一瞬“ガンでは!”との不安が頭をよぎりました。その日は偶然、親戚の年始周りをしようと夫と病院で待ち合わせをしていたので、一緒に結果を聞くことになりました。
 2人で医師の前に座ると、「子宮頸ガン2期です」と告知を受けました。その瞬間、血の気がサーッと引いていくようなショックを受けました。その様子を見てとったのでしょうか、医師は「これは、ガンの中でも治療法が進んでいるものです」などと、私を落ち着けようと話してくださり、「大学病院に紹介状を書くから明日取りにおいで」と言われました。

〔子宮、卵巣の摘出、両リンパ節切除の大手術〕

 大学病院での2ヶ月間に及ぶ検査の結果、「手術した方がよい」と言われました。
 職場の上司に報告すると、その上司は元国立がんセンターの化学療法部長で、ガン研究で著名なN医師に問い合わせてくださいました。その答えは、「ガンは早く手術した方がよい」とのことでした。私は納得し、手術を受けることにしました。あわせて、「早く手術をして、その後は、しっかり岡田式健康法を受けたら良い」とのアドバイスも受けました。
 手術が決まってからは長女、友人、職場、そしてMOA健康生活ネットワークのみなさんから浄化療法を徹底して受けました。そのお蔭なのか、子宮、卵巣の摘出、両リンパ節の切除という大手術にも関わらず、手術後の痛みはほとんどありませんでした。そして、手術から16日目の3月24日に無事退院することができました。

〔半年後に上皮内ガンに、そして放射線治療の副作用で腸閉塞に〕

 しかし、退院後の経過は厳しいものでした。
 ガンの手術から半年ほど経ったころの定期健診で「子宮頸ガン手術後に上皮内ガンができている」と診断されました。その瞬間、“えぇ、また!”とショックを受け、全身の力が抜けていきました。
 担当医から放射線治療を勧められ、自分も納得し再び入院しました。放射線治療は、月曜日から金曜日までの週5回行われ、それを5週間、計25回繰り返しました。副作用で尿の出も悪くなり、当初、排尿時に残尿があったことから、排尿時には管を入れて処理していました。そういうことから、自力で排尿ができるまで退院を延ばしました。
 さらに退院して半年後には、便の出も悪くなり、ガスが体内に溜まり、お腹がパンパンに張り、上腹部の痛みにも襲われました。病院で診察を受けると腸閉塞と診断され、再び入院することになりました。
 担当医から腸閉塞の手術を勧められましたが、なかなか決心がつきませんでした。子宮頸ガンの手術後の後遺症や副作用に苦しんだので、“再び同じような苦しみを味わいたくない”との思いが強くあったからです。
 腸閉塞では、点滴治療と食事療法が行われました。食事療法は、水分摂取から始め、重湯、三分がゆ、五分がゆ、そして七分がゆが食べられるようになったら退院するという方法でした。しかし、退院して20日ほど経つと、またお腹がきりきり痛みだし、入退院を繰り返すことになりました。点滴ばかりが続く治療生活で、体重も38.5キロから27.5キロと11キロも減り、痩せ細ってしまいました。

〔大きな支えになった家族と健康生活ネットワークの方々〕

 このころ、夫と長女が一生懸命に世話をしてくれました。つらい時はいつもそばにいてくれて、家族のありがたさが身に沁みて感じられました。嫁いでいる二女も、三女も心配して心をかけてくれました。
 健康生活ネットワークのみなさんはじめ、多くの方々が見舞いに来てくださいました。みなさんは、浄化療法を施術してくれたり、自然農法で栽培したお米を使ったお粥やスープも届けてくれたり、お花も届けてくれたりして励ましてくださいました。
 台風の日、“誰も来れないでしょう”と思っていたところ、職場の仲間が来てくださったということもあり、感激したことを覚えています。また、ある青年は、お父さんが他界して間もなかったのに、「今日は、行事があって誰も見舞いに来れないだろうと思い、僕が来ました」と言って来てくれたこともありました。その時は、胸が熱くなって、涙がこぼれそうになりました。
 しかし、こうした取り組みに感謝する一方で、度重なる入院に“死ぬのかな、良くならないのかな・・・”と、不安が頭をよぎることが度々ありました。

〔“この世の見納めに”との思いで沖縄瑞泉郷へ〕

 平成12年9月14日、この時は、平成10年のガンの手術から数えて6回目の入院中で、点滴治療をしている最中でしたが、外出許可を得て、家族と一緒に病院から約1時間半の大宜味村にあるMOA沖縄瑞泉郷に行きました。
 沖縄瑞泉郷は、約2万坪の広さで、自然観察のできる遊歩道、芝生の広場や洋風花壇、東屋、芸能もできる多目的ホールなどの施設があって、何度足を運んでも憩いと安らぎが感じられる癒しの場所です。
 瑞泉郷に着くと、夫につかまりながら「癒しの遊歩道」を休み休み、そして一歩一歩踏みしめながら歩きました。高台まで上った時はつらくて、歩くことができないほどでした。私は“瑞泉郷に来るのも、もう最後かもしれない、この世の見納めになるかもしれない”と思いました。そう思うと体の疲れとともに一抹の寂しさがありました。しかし一方では、“瑞泉郷に来ることができて良かった”という満足感もありました。
 その3日後、このままでは体力が持たないということで、担当医の指示で高カロリーの点滴が行われました。すると少しずつ体重が増えていきました。
 こうした体の変化と、沖縄瑞泉郷へ行けた満足感もあって、手術を受ける決心がつき、平成12年11月6日に腸閉塞の手術を受けました。

〔人様から受ける感謝が大きな力に〕

 腸閉塞のため入院していた間、私は花を楽しもうと思い、自分の病室だけではなく、病院内に花をいけて回りました。
 そんな私の姿を見て、看護師さんは驚いた様子で「私たちが患者さんにパワーをあげなければいけないのに、Kさんからパワーをもらっている。どうしてそんなに明るいの?」と言われたこともありました。
 花から生きる活力がもらえるということを、長女との生活の中で実感していました。
 長女は市内の中学校で「こころの教育相談員」として、お花やお茶を使って情操教育に関わっていて、平成8年11月には、日本文化を海外に紹介する文化交流使節団の一員として南米に派遣されました。1ヶ月間の派遣から帰ってくると、さらに積極的に活動するようになっていました。毎朝抹茶を点ててくれ、いつも部屋にはお花をいけ、日々の浄化療法の相互施術も欠かしませんでした。
 当時、私はつらいことがいろいろあって、何をするにしても自信がなく、後ろ向きに生きていました。仕事も新しいことに馴染めず、いつも辞めたいと思っていました。
 しかし、娘の姿を見ているうちに、私も“一緒にやってみようかな”と思うようになっていきました。
 岡田先生は「花にも命がある」と説いており、そのことを大切にしようと思いました。そして、気がつくと、家の中に花をいけるのは長女ではなく私になっていました。ある日、花に向かって「いつもパワーをくれてありがとう、ありがとう」と涙をこぼしている私がいました。そして、気持ちの上でも前向きになっていきました。
 そのような経験があったので、私は入院中、時間に余裕があれば、病棟だけではなく待合室、ナースステーション、トイレ、外来の受付、検査室の受付などにも花をいけて回りました。同室の患者さんと一緒にいけることもありました。手術をして苦しい中でしたが、花を楽しみたいと思っていましたし、みなさんを何とか癒してあげたとも思っていたからです。花からエネルギーをもらって欲しかったのです。
 ある日、トイレで花をいけていると、「かわいい花を誰がいけているのだろうと思っていたけど、今日見つけた!」と言って走り寄ってきた女性の検査技師がいました。そのことが広まったのか、以来、お見舞いにいただいた花をくださる方や、「退院するので」と花を届けてくださる方、「たくさんのお花をいただいた。あなたならば、きちんとお花を生かしてくれると思うので差し上げます」と持ってきてくださる方など、多くの花が届くようになりました。
 そのようなこともあって、この時の入院生活はうんざりするということはありませんでした。自分がはなをいけたことで、人様から受ける感謝の言葉が、生きていく上で大きな力になっていました。

〔岡田式健康法で安心した日々を送れるようになる〕

 腸閉塞の手術からおよそ2ヶ月後の平成12年12月26日、無事退院することができました。そして腸閉塞手術の退院から8年、今も元気に仕事に励んでいます。あのころのことを思うと、夢を見ているようです。
 振り返ると、“この世の見納めに”との思いから、家族に支えられながら瑞泉郷に行けたことで、腸閉塞の手術に踏み切る決心がつき、良い方向へ向かう一つの転機となりました。その感謝の思いも加わって、時々夫と一緒に瑞泉郷に行ってエネルギーをもらっています。瑞泉郷にいると、あらためて“癒される”と実感します。
 ガンの場合、早期発見、早期手術が重要と言われていますが、私にとっては病院の治療をしながら浄化療法を平行して受けられたことが大きな支えでした。日記にも克明につづってありますが、私の入院中に、ネットワークのみなさんを中心に延べ1100余名の方々が来てくださいました。みなさんの真心からの浄化療法の施術や励ましがあったからこそ、私は、厳しい病気と向き合う状況を乗り越え、立ち上がることができたと思っています。
 当然、大病をしたのですから、日々の生活の中で不安な気持ちになることはあります。しかし、岡田先生の論文を読み、浄化療法を受けたり、体に優しい自然食に心がけたり、お茶やお花を楽しむなどの岡田式健康法を行うと不安はなくなります。安心立命とでも言うのでしょうか、そういう日々を送れるようになりました。
 その幸せを、多くのみなさんと分かち合いたいと思い、同じアパートの方々にも岡田式健康法を紹介し、花を届けたり、自然農法野菜を届けたりしています。
 また、入院を通して医療関係者の方と親しくなり、一緒に食事をしたり、沖縄瑞泉郷へも案内したりしています。
 大学病院へ定期検診に行った時、入院中に大変親しくしていただいた看護師と偶然廊下で会い、「こんなに元気になってよかったね」と抱きしめてくれたこともありました。また、ある医療関係者の方は自分の娘さんの婚約祝いのパーティに私を招待してくれました。会場でお兄さんを紹介していただいたのですが、その方は私の入院中の容体を聞いていたようで、「あなたのことは妹から聞いていた。助からないかもしれないと聞いていた。しかし、今、僕の目の前に本人がいる。奇蹟というものは起きるものですね」と、おっしゃってくださいました。

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