北海道 M・Kさん(68歳、男性)
M・Sさん(65歳、女性)
〔右乳房にガンが見つかる〕
【Sさん】
今回、私は乳ガンになりましたが、振り返ると不思議なことの連続で、筋書きのあるドラマが用意されていたように思えます。
そのドラマは平成20年1月から始まります。熱はないのに水をかぶったように体が寒く、ストーブにあたったり、何度もお風呂に入ったりと、体を暖めるという日が2~3日続きました。普通に食べているのに、最近5kgも痩せていることにも気づいて、なおおかしいと思いました。
そして、1月10日の夜、何気なく鏡に向かって両腕を挙げてみると、乳房の形が少しおかしいことに気づきました。右側乳首の下あたりが窪んでいるように見え、自分で触ってみると、何かしこりのようなものを見つけました。
お友だちに乳ガンを患ったKさんがいらっしゃるので、電話を入れました。Kさんは乳ガン手術の執刀件数が多くて有名な先生が市内の専門クリニックにいることを教えてくれて、私は早速次の日に受診しました。予約をしないで行きましたので3時間ほど待った後、マンモグラフィー、エコー検査などを受けました。
検査の結果、右乳首の下に乳ガンがあると診断されました。「良くないね、悪性だ」と。その事実を先生から告げられた時は、ショックで頭の中が真っ白になりました。
病院からの帰り道、とにかく歩きたくて、すぐには家に帰る気になれず、途中、美容室が目に止まり、“入院したら暫らくは美容室にはいけないな”と思い、カットをしてもらいました。そして2時間くらいたったでしょうか、気持ちも落ち着いたので家に帰りました。
玄関を開けると、夫が「遅かったね」と言って迎えに出てきてくれました。病院に行くことだけは伝えていたのですが、時間が遅いから心配をしていたのだと思います。私は、「大変なことになったわ」と、検査の結果を伝えました。夫は「本当か?」と、信じられないといった様子でした。先生に「今日説明してもいいですけれど、患者さんはショックで説明した内容が半分以上抜けてしまうので、来週、ご主人と一緒に来てください」と言われたことを伝え、1月16日、夫とともに再度先生から説明を受けました。
〔リスクを考えて全摘出を選ぶ〕
【Kさん】
妻は診断された時の話が頭に入ってなくて、16日に行った時に私が一生懸命メモを取りました。ガンは初期で、大きさは2.4×1.8cmとのことでした。
今まで乳ガンに対する知識はあまりなくて、最初は早期発見すれば治癒するものだろうという理解だったのですが、先生の話を聞いていると、血液だとかリンパ液を通して転移するやっかいな病気だと知りました。大抵のガンは5年で再発しなければ完治と言われるけれど、乳ガンは10年経ってからじゃないと完治と言えないと聞いて、認識不足でした。
【Sさん】
説明の中で「これは、ここ6ヶ月ぐらいにできたものだね」と言われました。そのころは、市内で琴の演奏会が10月に控えていて、猛練習をしていました。40年のブランクがあったので朝も夕も追いつくための練習をしていました。お蔭さまで発表会は成功に終わったのですが、ほっとしたのか風邪を引いてしまいました。その風邪がいつもと比べてなかなか治りませんでした。そして、年が明けてしこりを見つけました。頑張り過ぎて、免疫力や抵抗力がなくなったのかなと思いました。
その年の9月には、こんなこともありました。ある日、「ガンがあるよ。早く、早く行きなさい」という女の人の声が聞こえて目が覚めました。その時は夢だなと思って大して気にしていませんでしたが、先生の説明を聞く中で、ご先祖様の誰かが教えてくれていたのではないかと思いました。私の母は50歳で子宮ガンになり、医師から2年ほどしか生きられないと宣告されていたのですが、77歳という長きにわたって生きることができました。夢の中の声は、母の声のような気がしてなりません。
【Kさん】
説明を聞いたその日からホルモン療法を開始して、2月上旬までに、転移しやすい肺や肝臓、骨を調べるCTや骨シンチ、胸部MRI、腋窩リンパ節のレントゲン、乳腺エコー、心電図の検査を行いました。そして2月14日に入院し、2月18日に手術することが決まりました。
3cm以下であれば乳房を残す温存療法が原則可能だと言われましたが、いろいろな話を聞いたり、調べていると手術で全摘する方がいいと思いました。
【Sさん】
大概は乳首の横か上にガンができるのですが、私のように乳首の下にできるのは珍しくて、医師が「リスクのことを考えたら手術で全部取った方がいいと思います」と言われたので、全摘を選びました。手術をすると胸の形がおかしくなるので「手術日までゆっくり考えて決めてもいいんだよ」と言われたのですけれど、もうこの歳なら人に見せるわけでもないので形はどうでもいいので、「自分の中ではもう決めていますから、いっそ全部取ってください」とお願いしました。
〔家族と健康生活ネットワークの協力〕
【Kさん】
娘と息子の4人で話し合いをしました。力を合わせて乗り切っていこうと。
【Sさん】
S市で一人暮らしをしていた息子の激しい気管支喘息で入院したことがきっかけで、平成16年に私たちがT市からこのS市に引っ越してきました。十数年ぶりに家族4人が揃って生活するようになったのですが、子どもたちの勤務時間の関係で、すれ違いが多く、あまり話し合うことがありませんでした。でも今回、厳しい病気ではありましたけれど、家族が語り合い、助け合うという一つのきっかけになりました。
【Kさん】
妻が入院している間は、私がご飯の支度をしました。買ってきたもので済ませることもできますが、せっかく自然農法で作られたの7分づきのお米を食べているし、子どもたちも「このお米の方が甘味があって、ほかのご飯よりも美味しい」と言うので、自炊しました。
【Sさん】
夫はカレーとか野菜炒めとかメニューは決まっていて、野菜の切り方が大きいこともあったようですが、時々食事を作ってくれました。入院中は毎日浄化療法を施術してくれました。子どもたちもよく電話をかけてきて体のことを心配してくれたり、見舞いに来てくれ、すすんで施術をしてくれました。
【Kさん】
2月6日には、区内の健康生活ネットワークが集まる会合の場で、私は妻の病気を話しました。するとネットワークの方々は心配してくださり、その日からローテーションを組んで施術に来てくださいました。2月12日にはMOAアートホール(札幌療院)を予約してくれて、岡田式健康法を受けることもできました。
【Sさん】
入院した専門クリニックでも、病棟主任さんがMOAアートホールのことや浄化療法のことを知っていて、「もし良かったらティールームという部屋を利用してもいいですよ」と言ってくれ、入院してからもネットワークのみなさんから浄化療法も受けることができ、ありがたかったです。
〔「抗がん剤治療や放射線治療は必要なし」〕
【Sさん】
2月14日に入院し、その日の夕方に、今まで受けた検査結果について先生から説明があり、肺、骨、肝臓ともガンの転移はありませんでした。そして2月18日には、右乳房の全摘と腋窩リンパ節切除の手術も無事終わりました。
手術の前の日に、先生から「術後はリンパ節が腫れるのでむくみが出ます。指輪が外せなくなるという人もいるので取っておいた方がいいですよ」と言われていましたが、むくむどころか、手術前に計った時よりも細くなっていました。腕が挙がりにくくなるということもあるらしいのですが、私は医師から「そんなに挙げなくてもいいですから」と言われるほどでした。
ひな祭りの3月3日に退院して、3月17日に手術後の病理検査の結果について説明を受けました。ガンは乳管の中にもあって、それが乳首の上まで浸透していたものだと分かり、先生から「乳房の全摘手術で正解だったね」と言われました。さらに、腋窩リンパ節の説明を聞いてビックリしました。腋窩リンパ節にも21個もの腫大があって、検査前には1つはガンの恐れがあると言われていましたが、全て良性だったということで、それを聞いた時は夫婦でうれし泣きしました。また、術後はホルモン療法だけで、抗がん剤治療も放射線治療も必要なしと言われ、うれしかったです。
【Kさん】
診断当初のガンは2.4cm×1.8cmだったのですが、手術時には1.8cm×1.4cmと小さくなっていました。手術前からアリミデックスという薬を1日1回服用していたのですが、医師は「これが効いたのかな~」と言っていました。でも、この薬はガンの栄養となるホルモンを抑える薬、つまりガンの増幅を抑える薬であって、小さくする薬ではないのです。ですから、医師も首を傾げていました。
〔家族の大切さ、健康生活ネットワークの存在の大きさ〕
【Sさん】
娘が平成20年6月に退院祝いにと登別温泉に連れて行ってくれました。温泉に入りたくても、手術をしているので大勢の人がいるお風呂にはやっぱり入りたくないと思っていたのですが、娘が気を使ってくれて、事前に家族風呂を予約してくれて、2人で一緒に入りました。
【Kさん】
息子は仕事の都合で行けなかったので、娘と娘の彼氏の4人で行きました。入院している時に2人で見舞いに来てくれたこともあったので、娘に付き合っている人がいることは知っていたのだけれど、いつ結婚するのかと思っていました。それで、彼もお酒が飲めるので、その日の夜は一緒に飲みながら「どうなんですか」と聞くと、「結婚させて欲しい」と言ってくれました。
【Sさん】
あらためて家に挨拶に来るのは緊張するのでしょう。お酒を飲むとざっくばらんに話せるので、もしかしたら退院祝いと言いながら、それを狙っていたのかもしれませんが、うれしかったです。そして娘は平成20年11月に結婚しました。
【Kさん】
このように家族が思いやってくれる。それも大切だなと思いましたけれど、健康生活ネットワークの方々がいろいろお世話をしてくれたのも大きかったです。
50年も住んで、市役所に勤めていたことから何千人という知り合いがいるT市からここに引っ越してきて、まだマンション内の隣近所の人が何をしている人か、どういう人なのかさえあまり分からない時に、健康生活ネットワークという人の繋がりがあったことは心強かったです。自分たちだけだったら途方に暮れていたと思います。
〔手術から1年が経って〕
【Sさん】
手術後は1ヶ月に1回定期検診を受けるために通院しています。生活に支障はないのですが、天候や気圧の関係で病んだりすることがあったり、家事や洗濯で手術した脇の下のリンパ節のところが腫れることはあります。しかし、浄化療法を受けていると、脇の下のリンパ節のむくみが、次の日には収まっているというようなことがあります。
手術から1年経った時の検査では、肺や肝臓、骨にも転移は見られず、腫瘍マーカーの数値も安定しているとのことでした。そして平成21年2月からは2ヶ月に1度の検査に変わりました。
このころ、私自身、勉強になることがありました。
立ったり座ったりする時にひざが痛むことがあったので、平成21年1月ごろからポストに投函されていた健康補助食品を購入しましたが、2月の検診の時、血液検査の1つが基準値を超える反応があって、医師から「カルシウムが随分増えているけれど、カルシウムの薬か何かを飲んでいるんですか?」と聞かれました。健康補助食品のことを話すと、「たぶんその食品に含まれているかもしれない。ちょっと飲まないでいて欲しい」と言われました。それで1ヶ月ほど飲まずに再び検診を受けると基準値に戻っていました。先生は「高いお金を出して求めても、かえって健康を害することもある。一番大事なのは食事の改善」、「肉食はたまにはいいけれど野菜中心の生活がいい。食事をバランスよく摂っていれば、人間は大丈夫なようにできているんだよ」と言われ、あらためて食事の大切さを教えてもらいました。
手術後はリハビリをしましたが、そこでは患者さんがみんな集まって話をするんです。ガンといっても一人ひとりの状況が違いますから、情報交換したり、励まし合おうと集まっていました。私はそれで元気づけられる時もありました。
最近、同じマンションに乳ガンを患っている方がいることを、そのご主人から聞きました。手術から1年経っているのですが、抗ガン剤を使っていて、つらい思いをされているようです。同じ病気なので、私は「近いうちにお茶でも飲んでお話しましょう」とお誘いをしました。これからは、そういう感じで、同じように苦しんでいる人が少しでも健康になれるように関わったり、助けになってあげたいと思っています。