交通事故の惨事から立ち上がる

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香川県  H・Hさん(40歳、男性)

〔事故の経緯と概要〕

 平成14年7月6日午後10時過ぎ、静岡に車で出張した帰り、右から赤信号を無視してきた乗用車が激突してきました。私は、その瞬間から意識がなくなっていました。 
 事故より一週間が経過した7月13日の朝、私は意識が戻りました。ここがどこなのか全く分からず、看護師がいろいろ話しかけてきましたが、どこで、どういう事故にあったのか思い出すことができませんでした。もしや相手も怪我をしているのではと心配になりました。
 しばらくして、集中治療室から一般病棟に移り、妻や両親、義父母に話を聞くことができました。交通事故によって頭部・胸部・腹部打撲傷・右肋骨多発骨折による血気胸・肝臓破裂・脾臓破裂・腹腔内出血、出血性ショックの重体で、救急車で運ばれたS病院で2回の手術が行なわれたことを理解し、“大変な状態になってしまった”と、ことの重大さを痛感しました。その後、2~3日は精神的に不安定で、夜も眠れない状態でした。
 手術した腹部辺りから下半身にかけて、痛みと気持ち悪さが混在した何とも言いようのない、自分の体ではないような違和感があり、肋骨9本を骨折しているため、咳をすると骨に痛みが走りました。

〔入院時の状況〕

 入院中は院長の理解を得て、岡田式健康法浄化療法美術文化法食事法を取り入れることができました。
 家族は昼夜交代で付き添いをし、常に浄化療法を施術してくれました。また、私の気持ちが少しでも和らぐようにと病室に花を飾り、私の好きな音楽を流すなど、環境を整えてくれました。花を見ていると気持ちも落ち着いてきました。
 15日にCT、レントゲン検査後、水分補給の許可が出ました。その後、日一日と改善していき、ただの水分補給から、3日後には重湯の許可がありました。この時から自然農法で栽培した食材を用いた食事ができるようになりました。点滴の生活から、自然米でできた重湯を喉に通した時、体中に力が湧いてくる感じがしました。「ああ、自分は生きているんだ」と思えて涙が出てきました。
 21日には、普通食が食べられるまでになりました。
 心身ともに回復し始めた22日から、あらためて事故のこと、入院しての緊急手術のことなどを聞くことができました。死んでもおかしくないほどの大事故であったことや、大勢の方が私のことを心配して、お見舞いに来てくださったことを知り、感謝の思いがさらに強くなりました。
 22日に2回目のCT検査を受けましたが、特に心配される異常もなく、おおむね改善の方向にあるとのことでした。また、脾臓摘出、肝臓処置後に腹部の3ヶ所に排液のための管をつけていましたが、その管を取りはずしてもらえました。
 後は点滴の管のみとなり、看護師から体に負担のかからない起き方を教えられ、衰えた足の筋肉を元に戻すために少しずつ歩くように心がけることをアドバイスされました。
 実際に体を動かそうとすると、事故前は何気なく体を動かしていたのが信じられないくらい、こんなにも自分の足が重いものかと実感しました。家族から患部や腎臓、鼠蹊部に浄化療法を受け、翌日には、重かった足が前に出て、18日目にして初めて歩くことができました。

〔退院を前にした不思議な体験〕

 7月29日に主治医より、CTの結果、肝臓や血小板の数値、歩行が良くなれば退院が可能になると言われました。
 私は歩行器を使っての歩行に取り組み始めていましたが、一方で、早く退院することを願うあまり、医師から言われた数値のことが気になり始めました。
 脾臓摘出のために血小板の数が100万/mm3以上に上がり、これが40万/mm3の正常値になることが医師の下した退院の条件でした。この数値にとらわれていた時は、70万/mm3まで下がりましたが、その後なかなか変化がありませんでした。
 私は、“体が退院後の生活に順応できるだけ回復すれば、自ずと数値も良くなるのでないか。数値が変わらないのは、今、退院しても困る状況に体があるのだ”と、努めて前向きに考えることにしました。自分の意にならないことを気にかけても仕方がないので、天運に任せて、まず歩行が充分にできるように頑張りました。
 まもなく40万/mm3の正常値になり、8月3日の血液検査、CT検査とも結果良好で、入院からちょうど1ヶ月目の8月5日に無事退院が許されました。

〔退院後の取り組み〕

 退院後は妻の実家で療養しました。義母と妻が自然農法の食材を使用して調理してくれ、美味しくいただくことができました。部屋には常にお花がいけられ、庭に咲いているコスモスがいつも風に揺れているのを眺めることで心が安らぎました。さらに、近くに公園がありましたので、毎日、妻と一緒に10~20分位歩き、足腰の筋肉の復活と体力向上に心がけました。
 MOA健康生活ネットワークのみなさんがお見舞いにこられ、お盆の15日を除いて毎日、浄化療法を施術してくださいました。
 19日の2度目の通院時には、血液の数値がすべて正常値になり、主治医から「驚くべき回復ぶりですね。今後の通院は1ヶ月から1ヶ月半の間隔でいいでしょう」と言われました。歩くこともかなりスムーズになりました。
 10月3日、人の手を借りずに基本的な日常生活ができるようになったので、自宅に帰ってきました。
 体調も順調に回復し、11月21日より職場に復帰しました。最初は、事務所でパソコン操作や事務業務を中心に行い、徐々に体をならしながら、技術指導している農家さんを訪問するようになりました。

〔交通事故の意味を考える〕

 病室で横になっていた時に、「今度自分が元気になった時は多くの人に浄化療法を施術していきたい」と願っていたことを思い出しました。それが交通事故で一命を拾った自分の果たすべき役割ではないかと感じたからです。
 入院は人生で初めての経験でしたが、自分が患者になってみて、その気持ちを理解することができ、患者中心のケアの重要性がよく分かりました。
 西洋医学の重要性とともに、ある程度回復した段階からは心のケアが如何に大切なものかよく分かりました。私は岡田式健康法の浄化療法、食事法、美術文化法を取り入れることによって、短期間で心身の回復が図られたように思います。
 今回の交通事故を通して、家族、特に妻には本当に感謝するようになりました。これからはどんなことが起きても、2人でともに手を携えて人生を乗り越えていけると確信しています。

〔妻・Aさん手記〕〔夫の交通事故を知らされて〕

 平成14年7月6日の夜11時ごろ、突然、S警察署から夫の交通事故の連絡を受けた時、私の手はふるえ、落ち着こうとしてもなかなか落ち着かず、神経も高ぶってしまったのか、何回もトイレに行くという始末でした。直ちに父に連絡を取り、二人でS病院に駆けつけました。
 頭部・胸部・腹部打撲傷・右肋骨多発骨折による血気胸・肝臓破裂・脾臓破裂・腹腔内出血、出血性ショックの重体で、夫はこのとき、とても危険な状態でした。7日午前2時を過ぎていましたが、緊急手術が行なわれました。
 出張に出かける前、私には、なぜか漠然とした不安があって、今回は夫に出張してほしくないという思いがありました。夫が家を出る際、いつも笑顔で見送るのに、今回に限っては2階の部屋に上がってしまい、挨拶もろくに交わさないまま、夫は出かけました。もし万が一ということにでもなれば、あんな別れ方をしたままでと思うと、とても申し訳ない思いになり、涙がとめどなく溢れてきました。

〔夫が目覚めるまでの治療について〕

 手術は午前5時前に終わり、主治医より「脾臓の摘出、肝臓、腎臓の止血手術を行い、無事終了しました」と告げられ、夫は集中治療室に入りました。主治医より、「この1週間は、何が起こるか分かりませんので、家族の方も控室で待機していてください」と言われました。
 夫の大事故を聞きつけて、MOA健康生活ネットワークのみなさんをはじめ、大勢の方が見舞いに来られ、私たちを励ましてくださいました。私はみなさんの温かさに不安も取れ、“一人じゃないんだ”と思え、とてもうれしく思いました。面会もままならない状態でしたが、「ご家族が疲れてしまってはいけないわ」と、私や家族に浄化療法を施術してくださいました。
 2~3日経って、今度は夫の右肺に痰が溜まり始め、酸素を充分に取り込むようにと2時間に1回、吸引の処置をすることになりました。しかし肺が思うように膨らまないため、主治医より肋骨をつなぐ手術が必要と言われました。夫の体力が持つのか不安でしたので、その点を確認すると、「内臓の方が大分落ち着いているから、大丈夫です。早くしないと痰が取り出せず、肺炎を起こす可能性があります」と言われ、2度目の手術が行なわれました。
 全身に包帯を巻き、体のいたる箇所に管を通されて、その姿に心が痛みました。
 1週間後に夫の意識が戻り、一般病棟へ移ることができました。

〔多くの人に支えられて今がある〕

 事故発生から、両家の両親、兄弟の全員が心を一つにして支えてくれました。送迎や電話の対応など、仕事を休んでまで、家族のみんなが協力してくれました。そして、1ヶ月間、祖父母と我慢して待ってくれた息子(当時3歳)にも感謝しています。
 ネットワークのみなさんにはお見舞いに足を運んでいただいて、夫はもちろんのこと、私たち家族もどんなに励まされたことでしょうか。さらに入院中、また退院後はローテーションを組んで浄化療法を施術してくださいました。みなさんに支えられて、乗り越えられたと感謝で一杯です。
 担当の看護師さんが「この部屋は、音楽が流れていて、癒されますね」とよく言っておられましたが、病室には花を欠かさないようにし、自然農法で栽培された食材を食事に取り入れ、また浄化療法も徹底することができました。
 これから、支えていただいた分をお返ししていきたいと思います。さらに今度は、私たち夫婦が多くの人を支えられるような生活を送りたいと思います。

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