ハワイでのボランティア体験で学んだこと

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千葉県  T・Yさん(23歳、男性)

〔生きた英語を学ぶためハワイへ〕

 僕は平成19年4月から7月の3ヶ月間、ハワイのMOAセンターでボランティアをしてきました。振り返ると、日本では決して経験することのできない貴重な学びがありました。
 そもそもハワイへ行くことに決めた動機は、平成18年9月にハワイ大学へ短期留学したことから始まります。留学中にMOAセンターに2回訪問しました。そこで、スタッフの方から「英語を勉強したいなら、ハワイは3ヶ月ならビザ無しで滞在が可能だから、MOAセンターで宿泊をし、ボランティアをして、会員のみなさんと交流しながら覚えるといい」と誘ってもらいました。
 帰国した10月からは再びハワイに行くことを目標に、8ヶ月間必死にアルバイトをしてお金を貯めました。最初は“3ヶ月も行けたらいいなぁ”と思っていたのですが、家族も理解してくれ、大学の授業は英語中心のクラスを組むことができ、航空券も早めに用意することができるなど、ハワイに行くための準備がとんとん拍子に進みました。
 ハワイでのはじめの1ヶ月はマウイ島のMOAセンター裏にある建物に住み込み、毎日ボランティアをしながら生きた英語を勉強しました。
 月曜はドクターによるヨガ教室、火曜はドクターによる健康講座、水、木、金曜は浄化療法の日、土曜、日曜は花のいけこみをしました。
 異国の地で見ず知らずの人と接することがこんなにも楽しく過ごせるとは思っていませんでした。そして、生活をする上で精神的な支えにもなっていました。会員のみなさんとのふれあいは僕にとって宝と言えます。

〔ガンを患ったSさん〕

 MOAセンターでは1ヶ月に1回、学校の特別クラスに対して岡田式健康法を体験してもらうセミナーを実施しています。この特別クラスは、席につけず落ち着きのない学生や、教室から出て行ってしまう学生、不良で学校に行かない学生、前の学校で何か問題を起こした中学生や高校生が1つのクラスに編成されていました。
 7月のセミナーでは、学生たちが3班に分かれて、浄化療法、茶の湯、いけばなを交代しながら体験するというもので、僕は浄化療法を担当するボランティアとして参加しました。学生たちが浄化療法、茶の湯、いけばなを楽しそうに体験している様子を見ていると、どこに問題があるのか分からないほどなごやかな雰囲気を感じました。ボランティアしているみなさんも笑顔を見せて楽しまれて、とても良い雰囲気でした。
 このセミナーは、特別クラスの担任だったSさんが10年ほど前に岡田式健康法に興味を持たれて始まったようです。Sさんは既に教師を退職され、入院されていると伺い、翌日、僕はNさんと一緒に病院へ行きました。
 Sさんはすでにガンの末期と診断されていて痩せ細っていました。抗ガン剤の副作用で髪の毛はなく、意識はあるものの、あまり会話のできない様子でした。僕は、少しでも良くなって欲しいとの思いで、浄化療法を施術しました。
 Sさんの依頼を受けて、Nさんが頻繁に通って浄化療法をしていたので、僕も一緒に病院に通いました。
 病院には、Sさんの娘さんやお孫さんなどのご家族が毎日看病に来ていました。ご家族はいつも笑顔で、Sさんを囲んで会話をされたり、一緒にベッドで食事をされていました。ある日、Sさんがご主人ともう一度結婚式を病院のベッドでされていたところを見た時は、“Sさんの家族は本当に幸せそうだ”と感じました。Sさん一家は学校の岡田式健康法のセミナーを通して、浄化療法の素晴らしさを感じられていたようで、僕たちが訪問するたびに喜んでくれました。
 Sさん自身とは会話があまりできず、体調を伺えなかったのですが、ある日、娘さんが「この前、施術を受けた後、ママは本当に顔色が良くなって、気持ちよさそうに寝ていました、本当にありがとう」と言ってくれました。

〔終末期の中で取り組んだこと〕

 しかし、ガンの状態は良くなく、その後、Sさんは家に戻り、ご家族で看病することになりました。Nさんと僕は毎晩のようにSさんの家に通いました。
 Sさんは食欲がなく、とうとう何も食べることができなくなっていました。浄化療法を施術している時に嘔吐することも頻繁にあり、厳しい状態だと分かりました。ご家族から体中にガン細胞が転移している状態で、特にお腹がつらいと聞きました。
 浄化療法を受けて嘔吐した後は顔色も良く、寝つきも良くなっていると感謝されていましたが、何も食べないで嘔吐を繰り返しているので、衰弱していくのではと心配しました。ハワイの人は味噌汁を飲む習慣があるようだったので、味噌汁なら作れるし、喉も通りやすいかなと思い、作ることにしました。MOAセンターの小さな畑で取れた自然農法の菜っ葉を食べやすいように細かく切り、スーパーでオーガニックの豆腐を買い、MOAの売店で買った味噌と和風だしの素で味付けした味噌汁を“少しでも良くなってもらいたい”と願いを込めながら作りました。
 その後Sさんは、ヨーグルトやフルーツを口にするようになり、車椅子に乗りトイレまで行くことができ、話もスムーズにできる時がありました。
 Sさんには3人の娘さんがいます。彼女たちは学校の先生や大学の教授をしていて、結婚もしてお子さんもいます。薬を時間になったら飲ませて、水が飲みたい、お腹が減ったという時に食事を用意するなどの看病をされていましたが、ある日、その娘さんたちが「是非私たちも施術をしたい」と言われて、MOAロケット受けられました。僕自身、家族も浄化療法ができるようになってもらえればと願っていたので、嬉しかったです。

〔Sさんの死を通して感じたこと〕

 マウイ島での1ヶ月が過ぎ、残りの2ヶ月はワイキキビーチが有名なオアフ島でボランティアをするため、僕はマウイ島を発ちました。その5日後、Sさんが亡くなったと連絡がありました。
 亡くなる前のSさんの顔色は本当に良くて微笑んでいるように見えたそうです。ご家族も施術をしてくれたことに、とても感謝されていたと聞いて、僕が取り組ませていただいたことは決して無駄ではなかった、少しでも力になれたと思えて嬉しかったです。
 3ヶ月のボランティアを終え、僕は帰国前に再度マウイ島に行き、Sさんのお墓参りに行きました。Nさんから、お葬式で集まったお金のうち、葬儀の費用を引いた全額を、「特別クラスの学生たちがMOAに入会し、浄化療法を学ぶために使ってもらいたい」と言って寄付されたと聞きました。Sさんの家族が、浄化療法の素晴らしさを理解してくださったことが本当に嬉しかったです。
 また、Sさんの長女さんはアメリカの本土フィラデルフィアに住んでいますが、「SS貧血症を患っている友人がいるので、浄化療法に取り組んでいきたい」と聞き、嬉しくなりました。

〔3ヶ月のボランティアでの学びや気づき〕

 オアフ島での2ヶ月間は、ホノルル美術館とショッピングモールを会場にした児童作品展の手伝い、ショッピングセンターで行われた浄化療法のボランティアをしました。また、光輪花クラブというお花の教室や健康増進セミナーの手伝い、治療院での療法士、センターのバックヤードで育てている野菜の管理、収穫、大忙しでしたが多くの学びがありました。
 一方で、生活苦、言葉の壁、食の違い、文化の違い、人間関係などいろいろな壁や困難もありました。でも、それがあったからこそ成長できたとも感じています。岡田茂吉先生は「世界人たれ」、「新人たれ」、「感じのいい人」、「誠」の論文で人間はどうあるべきかについて書いていますが、いろんな人と接する中で、会員のみなさんに支えられる中で、そのことを学ぶことができました。何事にも、相手のことを想って一生懸命取り組む誠の心がどんなに人のためになるのか、それはとても素晴らしいことであると気づかせてもらえました。

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