福島県 Y・Kさん(44歳、男性)
〔3年ほど、うつ状態に苦しむ〕
私は旅行が趣味で、30歳のころに初めて訪れた沖縄に魅せられ、それから年2回は家族と一緒に行くようになりました。
仕事もある程度順調に進んでいた平成18年4月、転勤によって職場の環境が大きく変わり、人間関係などの問題も重なり、強いストレスを感じるようになりました。我慢しているうちにいつしか、うつのような状態になっていました。
しかし、私は職場のことであまりにも悩み、そのことに常にとらわれていたため、自分が病気であることに気づいていませんでした。
こうした状況の中で、平成20年11月、私の症状はさらに悪くなり、人前であがるようになったり、普通に話せなくなったり、物忘れが激しくなったりと、今まで経験したことのない状態になり、“これはおかしい。ただごとではない”と思いました。
そこで、私は自宅の近くにある心療内科を受診しました。まず医師から「病名はうつ病ではなくて、その一歩手前の状態です」と言われました。そして、抗うつ剤をはじめ、睡眠薬と安定剤を処方されました。“うつ病ではないのに、なぜ抗うつ剤を処方するのだろうか?”ということが疑問でしたが、医師の指示を守り、薬を飲むことにしました。
薬を飲みはじめたころは、“思ったより効くんだな”という印象がありました。しかし、飲み続けているうちに、次第に効かなくなっていくのがわかりました。医師に相談したところ、「では、今までは5㎎の薬を処方してきましたが、10㎎にしましょう」「この薬は30㎎まで増やしても大丈夫です」と言われました。この話を聞いて私が思ったのは“今後、また薬が効かなくなれば投与量を増やしていくのだろうな” ということでした。“薬をやめたいけれど病院へ通うしかない”という苦しい自分がいました。
うつ状態が続き、人の目線が怖く、孤立感に苛(さいな)まれ、毎晩のように自らの命を絶とうと考えていました。でも、毎日、文句も言わず家事や育児を頑張っている妻や、屈託のない笑顔の子どもたちを見ていると“死ぬのは簡単だが、このままこの子たちを残していったのでは、父親としての役目をろくに果たさず、逃げるだけのずるい人間ではないか”“残された家族はどうなるのか?”“たぶん苦しい生活を送っていくことになるだろうな、私のせいで”と、死にたくても死ねないギリギリのところで踏みとどまっていました。
〔初めて岡田式健康法を体験する〕
平成21年に入り、いつも身体がだるく、頭がボーっとして思考力もおとろえ、会話に関しても呂律の回らない極限状態になりました。1月下旬には仕事中にバイクで転倒して左足を骨折して休職することになり、また、その期間中に車を運転中に後ろを走ってきた車に追突されました。私は自身の肉体的なものばかりではなく運気も極限状態にあるのではないのかと思いましたが、このとき私に転機が訪れました。結果的に休職期間の45日間が私の人生を大きく変えてくれるきっかけとなったのです。
不思議とこの時、沖縄の友人の顔を思い浮かべました。私の苦境を何度か救ってくれた沖縄の友人の顔をです。私は導かれるように沖縄を訪れ、友人に自分の体調のことを相談してみると、岡田式健康法と沖縄療院を紹介されました。そして、沖縄療院で初めて浄化療法を受け、美術文化法では抹茶といけばなを体験しました。浄化療法を受けたとき、とくに身体への変化はわかりませんでしたが、薬による治療の限界を自ら感じていましたし、じっとしていてもつらかったので、福島に戻っても岡田式健康法を継続できるように、MOAインターナショナル郡山とAさんを紹介していただきました。
2月中旬、初めてMOAインターナショナル郡山へ行き、Aさんをはじめ、その地域を担当しているスタッフの方から浄化療法を受けました。すると、ただ手をかざしているだけなのに、何かエネルギーのようなものを頭と身体に強く感じ、“これなら私も良くなるかも知れない”と思いました。藁(わら)にも縋るような気持ちもありました。
それ以降、Aさんは、ほぼ毎日、休憩をはさんで3時間以上も浄化療法を施術してくださいました。
それまで、私は睡眠薬を飲んでも夜3時間ぐらいしか眠れず、朝になって目覚めたときにも疲れが相当残っていて、身体がだるく、目覚めることに恐怖感を持っていました。睡眠薬を飲んで寝るときにいつも思っていたのは、“このまま目が覚めなければいいのになあ”ということだけでした。目覚めた瞬間に襲われるあの苦痛は言葉に言い表せないものがありました。
浄化療法を受けるようになってからは、少しずつ眠れるようになり、苦痛から解放されていくのがわかりました。これは本当に大きな変化でした。私自身の感覚では、施術がはじまって10日目ごろには、“もう薬に頼らなくても大丈夫な状態になれたようだ”と思いました。
その後、浄化療法を受ければ受けるほど、うつ状態の苦しみから解放されていくのがわかりました。Aさんから「浄化療法は、人間の身体に本来備わっている自然治癒力を高める健康法である」と聞いていましたが、“本当にそうだなあ”と感じました。
〔妻の右手親指の痛みが和らぐ〕
長年、妻も原因不明の右手親指の痛みに苦しんでいました。いろいろな病院で診てもらいましたが、明確な病名が得られず、治療方法は同じものでした。その上、治療を受けても良くなる気配がありませんでした。
そこで、Aさんに相談し、妻にも浄化療法を施術していただくことにしました。妻がAさんから浄化療法を受けて感じたのは、“指の痛みが1回の施術で緩和した”ということでした。妻は「今まで、どこの病院へ行っても変化がなかったけど、指のしびれがとれ、痛みが和らいだ」と驚いていました。
このように浄化療法の効果を実感し、私は職場復帰を控えていたこともあって、家庭でも浄化療法ができるように、2月下旬に夫婦でMOAに会員登録しました。
〔家庭の中に岡田式健康法を取り入れる〕
それからは、自分で浄化療法を施術することはもちろんのこと、家族にもするようになりました。5歳になる長女はひどいアトピー性皮膚炎に苦しんでおり、私が毎日、浄化療法を施術する中で、その症状が和らいでいきました。妻とは休日にお互いに施術するようにしています。
食生活ではMOAの自然食を利用するようになりました。また、5月にはAさんの勧めで、自宅のベランダで自然農法の家庭菜園をはじめました。キュウリ、ナス、プチトマト、リーフレタスなどの苗を購入して栽培しました。ただ、初めてなのでうまくいかなかったものもありましたが、プチトマトはとても良くできました。採れたての野菜を食卓に乗せて、家族で一緒に食べました。とても美味しかったです。
妻は光輪花クラブに入会し、ずっとお花を習っています。子どもたちも一緒に連れていっています。そのおかげで、わが家は常にお花が飾られる家庭になりました。
家の中を見渡せば、健康で笑顔いっぱいの家族、食事は子どもたちにも安心して食べさせられるMOAの自然食、ベランダには自然農法で育った野菜たち、部屋の所々に飾られるいけばな。わが家は、この2年ほどの間に今までにない大切なものを手にいれることができたと思います。日常の生活が、岡田式健康法中心の暮らしへと一変したのです。
〔療法士のボランティアを行う〕
6月からは、MOA健康生活ネットワークの仲間のYさんと一緒に浄化療法3級療法士になるための講座を受け、資格を取得しました。当初は“自分が健康になりたい”という思いで受講しましたが、いろいろな方々とも知り合いになり、Yさんの妹さんがボランティアをしている姿を見ていて、先を越されたような気持ちで、私も頑張ってやろうと思うようになりました。
Aさん宅で週1回、夜7時~9時過ぎまで行われる健康生活ネットワークの集いに私も時間のとれる限り参加するようになり、岡田先生の本を読んだり、浄化療法の探査の仕方を学び、お互いに施術しています。Aさんをはじめ、一緒に参加している健康生活ネットワークの方々の姿も大いに刺激になり、私も人に施術したいという気持ちになってきました。それからは、仕事の都合がつけば、健康増進セミナーなどで妻も一緒に療法士のボランティアをするようになりました。
そして、翌年の平成22年10月には、Aさん、Yさんと3人で、初めて東京療院で療法士ボランティアをしました。平成23年9月にも、ボランティアをしました。今では、人に浄化療法を施術することが本当に楽しみになっています。
〔考え方や生き方、価値観が変わる〕
私はこれまでに、岡田先生の哲学で構成された「岡田式浄化療法3級テキスト」「究極の健康法」などを学んできましたが、自分自身の考え方も大きく変わりました。
とくに、病気とは体内の毒素が軽減または排除される体の浄化作用である、病気によって体内毒素が排泄されるので人間は病気をすることで健康になっていくというとらえ方は衝撃的で、自分の考え方が180度転換しました。“もっと早く浄化療法にめぐり合っていたら良かったな”と思いました。
現在、私は心身の健康を取り戻し、仕事も生活も普通の状態になりました。本当に元気になったと感謝しています。
また、私自身の願いを叶えてほしいという面もありますが、自分が元気になってくると、MOAが行っている健康事業の発展のために使ってもらえるならありがたいと思い、寄付金をしています。
このように、私は考え方や生き方、価値観まで変わり、とても幸せになりました。これも岡田先生の哲学を学び、Aさんをはじめ健康生活ネットワークのみなさんに支えていただいているお蔭だと心から感謝しています。私をMOAにつなげてくれた沖縄の知人、そして、大好きな沖縄にもとても感謝しています。
私もMOA会員の方々をはじめ、いろいろな人たちに出会うことによって刺激を受け、楽しく一緒にやってきました。これからも健全な個人や家庭、社会の実現のためにボランティアをしていきたいと考えています。
〔今後に向けて〕
福島県民の健康状態が大変深刻な状況下にあります。緊急避難要請を受け、故郷を離れ、仮設住宅暮らしを余儀なくされている方々もたくさんいます。
今後どうなるのかまったく先の見えない中で、自らの健康を自らが守っていくことも大切だと感じています。とくに小さな子どもがいるわが家にとっては、なおさらのことです。
これから家庭の中で起きる問題と言えば、まず放射能汚染による健康被害が考えられます。家族への浄化療法の施術をきちっと行い、子どもたちが健康で元気に生活していける状況を、子どもたちの未来のためにつくっていきたいと思います。
さらに、健康生活ネットワークの方々と連携して、放射能汚染被害に苦しんでいる人々に浄化療法を施術できればと思っています。