乳ガンを乗り越える

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アルゼンチン  M・Pさん(49歳、女性)

〔乳ガンの発症〕

 2006年3月ごろ、右乳房に違和感があり、触ってみるとしこりがあることに気づきました。右乳房の違和感が続き、心配になったので、10月18日にブエノス・アイレス療院で診察を受けました。S医師は触診した後で、「専門病院で検査した方が良い」と言われました。
 10月26日にガンセンターで検査を受けたところ、もっとも恐れていた乳ガンと宣告されました。抗ガン剤治療を行ったあと、手術で右乳房を摘出し、状況を見ながら再び抗ガン剤治療を行う必要があるとのことでした。
 まるで出口の見つからない真っ暗なトンネルの中に入ったような、絶望感に襲われました。

〔家族の思いやりと支え〕

 私自身はもちろん、夫や3人の娘たちもひどく動揺しました。娘たちは「お母さんの病気を受け入れたくない」「お母さんを失いたくない」と言い、最初のころはよく部屋で泣いているのを目にしました。私は「どれだけ娘たちを大切に思っているか、こういう厳しい状況でも家族のきずなを大切にしたい」と伝えました。
 最もショックを受けたのが夫だったと思います。私がガンになったことを知った時、とても不安そうでイライラして、私や娘に八つ当たりをするなど困惑しているようでした。でもしばらくすると、私の代わりに家事や洗濯を手伝ってくれるようになりました。
 また、夫は野菜嫌いなのに、「少しでも良くなってもらいたいから」と、家の裏庭を開墾して家庭菜園を始めました。ノウハウも知らない全くの素人で、仕事で体が疲れているにもかかわらず、毎日のように土を耕して、野菜ができるまで一生懸命汗を流していました。その姿を見て、私は本当に嬉しく感じました。

〔抗ガン剤治療の苦しみ〕

 2007年1月から3月まで抗ガン剤治療が行われ、4月10日に手術で右乳房を摘出しました。そして6月から再び抗ガン剤治療を行うことになりました。
 手術後の4月25日に療院を訪れ、今後の方針についてS医師からアドバイスを受けました。S医師はガンセンターの診断や細胞検査の結果を見て、「浄化療法を一日3時間以上受けるように」「食生活を改善するように」と勧められました。それ以来、私は週に3回、家から2時間かけて療院へ通い、浄化療法を受けました。療院に行けない日は、家で二女から受けました。
 手術後の抗ガン剤治療では、頭痛や高熱、悪寒、下痢、吐き気、動悸などの副作用に悩まされ、眠れない夜が続きました。さらには指の爪がはがれたり、髪の毛が抜け落ちたり、呂律が回らなかったり、口から泡を吐いたり、気持ちの落ち込みが激しい時もあり、ベッドから起き上がれないこともありました。それでも浄化療法を継続的に受けるように努力しました。浄化療法を受けると、我慢しきれないほどの痛みが治まることがあったので、家族の励ましと同じくらい大きな支えでした。
 療院へ通うようになってからは、考え方が前向きになっていきました。当初は、この状況に耐えられるかどうか不安があったのですが、療院で悩みを打ち明け、励ましていただき、岡田式健康法を受けている中で、次第に自分の気の持ちようが大切だと思えるようになりました。そして“病と真向かっていかないといけない”“絶対にあきらめない”と自分に言い聞かせ、病気と向き合うことができるようになりました。

〔著しい改善〕

 2007年11月1日に、ガンセンターの主治医に検査をしていただきました。検査後、私のカルテの検査数値を見たS医師が「著しい改善経過ですね」と驚き、「この状態であれば、今後抗ガン剤治療を続ける必要はありません」と言われました。抗ガン剤治療は一年ほど継続する予定で、ちょうど半分が終わったところでした。
 思いもしなかった結果に、一気に希望が湧いてきました。同時に、このような結果が得られたのは、私を励まし、浄化療法を施術してくれた家族や療院スタッフのおかげだと思いました。
 私は日に日に元気になっていきました。その姿を見て、入院中に知り合った同じ乳ガンの患者さんから「なぜあなただけ良くなったのか?」と質問されることがありました。私はこれまでの浄化療法の体験を伝えました。
 2007年10月12日に、27年ぶりに10人のきょうだいが全員で集まった時も、私の体験と浄化療法のことを伝えました。興味を持ったきょうだいがいたので、11月16日にデルキ瑞泉郷で開催された健康増進セミナーに一緒に参加しました。特に妹夫婦はセミナーの内容に感動して、「浄化療法をするためにMOAロケットをもらいたい」と言ってきました。

〔家族の大切さを実感〕

 夫もこの日、妹たちと一緒に健康増進セミナーに参加してくれました。私が浄化療法を受け続け、元気を取り戻して行く姿を見て関心を持ったのだと思います。岡田式健康法の考え方、内容についても理解してくれるようになりました。
 セミナーでいけばなを体験し、夫は「美的感性が豊かになった」と言ってくれました。
 私は、21年前に岡田先生の哲学に出合い、特に花にふれあい、美を楽しみながら、生活をより美しく豊かにし、美を通して幸福へ誘われ、芸術的な生活を送るとの考え方に感銘を受けて、家庭や地域でお花をいける活動に取り組んでいました。しかし、その当時、夫は活動に対してあまり関心を示してくれず、私がお花をいけても見向きもしませんでした。しかし、このセミナーの体験を境に夫の態度が変わり、今では夫婦で花をいけるなど一緒に楽しむことができるようになりました。
 私は自宅からガンセンターや療院へ2時間以上かけて往復していますが、この体験を通して、夫の通勤状況がどれだけ大変なものか、痛いほど分かりました。これまでは、疲れて帰宅した夫に対して、休む暇も与えず一方的に愚痴をこぼしていました。今になって感謝が足りなかったことに気がつき、申し訳ない思いでいっぱいです。
 夫の給料では家族4人を養うのがギリギリで、私の高額な治療代や交通費を賄うためには、生活費を極限まで抑える必要がありました。しかし、母やきょうだい、親戚が金銭的に援助してくれるなど、さまざまな形で助けてくれました。私はあらためて家族がどれだけ大事であるかを実感しました。

〔同じ病で苦しむ人たちのために〕

 直面する厳しい現実を乗り越えることができ、今は素直に自分が「幸せ」だと思います。振り返ってみると、この幸福感は、継続して浄化療法を受けた結果であり、「新たな命」をいただいた気がします。いただいた命を大切にして、今は家族の健康を願いながら、浄化療法、美術文化法食事法の岡田式健康法を家庭で取り組んでいます。
 夫は家庭菜園を続けていますが、もっと自然農法を学ぼうと、2008年11月8日にデルキ瑞線郷において行われた「家庭菜園実施者研修」に、三女とともに参加しました。また、二女がMOA研修生プログラムに興味を示し、研修生として申込みをしています。私は同じ病に苦しむ人たちにも、浄化療法を通して良くなって欲しいとの思いで、2007年12月27日に浄化療法の資格試験を受けました。現在は、週1回療院で療法士のボランティアをしています。

〔ブエノス・アイレス療院S医師のコメント〕

 Mさんは、2006年10月18日にブエノス・アイレス療院で私の診察を受けました。乳房の周囲の皮膚はごつごつとして硬く、赤く腫れて、右乳輪の陥没が見られました。ほかにも右顎に2cm大のしこりが確認されたので、ガンセンターで検査するように勧めました。
 Mさんは、ガンセンターでの検査結果(マンモグラフィーなど)から右側乳ガンと診断され、2007年1月から同年3月まで、1週間に1回の間隔で抗ガン剤治療を受け、右乳房摘出手術を受けられました。細胞検査の結果からは浸潤性乳ガン、パジェット病、ホルモン受容体陰性との結果が出ていました。これはガンの中でも高リスクの結果でした。
 この結果を受けて、2007年4月25日の2度目の診察の時は、まず肉食を避け、野菜中心にするように食生活の改善を促しました。また、右肩部、腎臓部、肩甲間部、手術箇所を中心に、浄化療法を1日3時間は受けるようにアドバイスしました。それ以来、ご主人や娘さんの励ましを受けながら、週3回療院で浄化療法を継続しておられます。
 その後は2007年5月8日、10月27日、2008年10月26日に診察しましたが、身体的、精神的な変化が認められました。顕著だったのは、術後に見られた腕の痛みやだるさがなくなりました。しかし、浄化療法を受けられない日が続く時は、腕の痛み・だるさを感じるとのことで、継続して受けている時と受けられない時とでは、痛みやだるさが明らかに違うようです。

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