夫の死による深い悲しみを乗り越えて

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沖縄県  M・Tさん(60歳、女性)

〔深い悲しみとの遭遇〕

 私は、職場の同僚であった夫と20歳過ぎに結婚し、35年間連れ添ってきました。
 夫は、それまで病気らしい病気は一度もしたことがなく、いつも健康そのもので、お酒も大好きで毎日のように飲んでいました。しかし、平成16年秋ごろから、だんだんとお酒が飲めなくなり、11月には腹痛がひどくなって食欲もなくなり、入院することになりました。そして12月1日、看護のかいもなく小腸ガンで急逝してしまいました。元気な夫であっただけに、入院から3週間というあっという間の出来事に、私は激しいショックを受けました。毎日涙し、この深い悲しみから抜け出すことができませんでした。

〔前向きに生きていくことへのきっかけ〕

 夫の告別式には、数多くの方々が来られましたが、その数は沖縄でも多い方でした。その光景から、夫は生前多くの人に慕われていたことが実感でき、悲しい中に嬉しい思いにもなれました。
 夫の葬儀が終わり、初七日前夜の9時ごろでしたが、近くに住むMOA会員のNさん(70歳)から電話があり「喪中で大変なことは知っているが、私に岡田式浄化療法を施術してほしい」とお願いされました。
 その時は、夫を亡くしたショックから心身ともに疲れ果て、何も考えられなかったのですが、お願いされた時、「どうぞ」という言葉が自然に口から出ていました。その後、Nさんは娘さんの車に乗ってわが家に来られましたので、長女とともに1時間ほど浄化療法を施術させてもらいました。
 翌日の夫の初七日の朝、私は不思議と大変気持ち良く目覚めることができました。これならば、どうにかやっていけると思えたほどでした。
 そして、朝8時ごろ、Nさんから「昨日はどうもありがとう。とても元気になった」とお礼の電話がありました。それからNさんは1週間に1度、浄化療法を受けにわが家に来られるようになり、今日に至っています。
 先日、「あなたからこうして浄化療法をいただくことで体の調子が良くなって、夫との関係がうまくいくようになり、幸せを感じる。夫が酒を飲んでいても腹が立たなくなった。自分自身の心が変わってきているからかも知れない」と語っておられました。このように浄化療法を通してのNさん本人の体調の改善や家庭の変化が、私自身にとっても前向きに生きていくことへのきっかけともなりました。

〔沖縄療院の入院を機に、夫の死の苦しみを乗り越える〕

 夫が亡くなってから3ヶ月ほど経って少し気持ちが落ち着いてきましたので、経営している会社の仕事に戻ろうかと思っていました。しかし、同じころに沖縄療院のクリニックで診察を受けた時、Iドクターから「更年期障害もあり、血圧が高い。うつ寸前の状態ですよ」と診断され、勧められて3日間入院することになりました。
 入院した初日のことです。芸術セラピーの中に琉球舞踊がありました。会場に入ってプログラムを見た瞬間、“今の精神状態では受け入れられない”と思いました。演目にお祝いの時に踊る「かぎやで風」が入っていたからです。しかし、曲が流れ、踊り手が出てくると、三味線の音色に合わせ、体が自然に動き出しました。自分でもビックリしました。そして、恥ずかしいくらい涙が出て、心が洗われたような気分になりました。あらためて、伝統文化である琉球舞踊の持つ素晴らしさを実感させていただきました。
 その後、抹茶をいただいた時は、出されたお茶碗が松竹梅でした。まさにすべてがお祝い事を象徴していました。私は“今歩んでいる道を夫が喜んでくれている”と思えました。
 また、岡田式健康法の浄化療法、美術文化法食事法を受けたことにより、ストレスから極限に達していた心身の疲れが取れました。本当にありがたいと思い、その感謝の思いから、MOAが推進する事業の発展を願って寄付金を届けました。
 また、療院で一生懸命に接してくれる療法士のボランティアの姿に心を打たれ、私もその人たちのように他人のために尽くしたい、自分と同じような思いをしている人に元気になってもらいたいと願い、それから間もなくして、浄化療法の療法士の資格を取得し、平成17年6月から毎週1回、ボランティアに行くようになりました。
 家庭でも週に1度、岡田式健康法の受け入れ日を設けるようになりました。平成18年12月22日には、地域の方々の幸せを願い、わが家を開放してMOA健康生活ネットワークの方々とともに浄化療法の施術や光輪花クラブというお花の教室などの活動を進めるようになりました。
 今までの人生を振り返ると、自分自身、不思議なくらい行動力が身についていることに驚いています。このように60代になって、人や社会に尽くすことに生きがいを見いだせたことで、今後は納得できる人生が送れると思っています。

〔夫が生前、花見をしたいと植えた桜が綺麗な花を咲かせみんなを迎えてくれた〕

 亡くなった夫は、11人きょうだいで、上から5番目でした。もともとM家は、ヤンバル(沖縄本島の北部)という遠方の集落の生まれで、お墓も、そこにある共同墓地に建立してあります。法事の際は、長男が代表してそのお墓へ行き、お仏壇への案内の報告をして、ほかのきょうだいはお仏壇の前での供養でした。
 夫は、亡くなる少し前、「自分たちだけでもよい、お墓が欲しい」と言っていました。夫の49日までの間に、お墓を何とかしなければならないと思い、長男に夫の生前の思いを告げたところ、「親父のためにつくる」とすぐに決意してくれて、その作業に取りかかりました。法事に夫のきょうだいが集まった時、長男が「親父の墓を造るのに、もしよかったらM家の墓としてどうか」と、みなさんに相談したところ、結果的に全員が納得してことが進み、M家のお墓を市内の予定の場所に建立することができました。
 亡くなった翌年、平成17年のシーミー*1は、お墓にみんなが集まり賑やかでした。それに、夫が生前、花見をしたいと植えた桜の木6本に綺麗な花が咲いて、みんなを迎えてくれました。

〔夫が私に教えてくれたこと〕

 朝、仏壇の夫の位牌に向かって「今日も一緒に行動しよう」と語りかけます。いつも自分のそばにいる感じがして、とても心強く思っています。肉体はないものの、生前の延長線上にいるような感じがして、何か、起きている一つ一つの出来事も夫が導いてくれているように思えてなりません。
 今まで、目に見えない世界については漠然としていましたが、夫が亡くなって、岡田茂吉先生の哲学に真剣に向き合い学ぶようになって、“人間には、目に見える肉体と目には見えないが魂があり、魂は不滅である”ということを、ハッキリと理解することができました。
 平成18年12月1日、3回忌の法要を営みました。その時法要に来てくださったのは、霊感の強いと評判のお坊さんでした。法要が済むとお坊さんが、夫が次のようなことを言ったと教えてくれました。1つは、天国にいて幸せであること。2つ目は、お墓の建立は満足していること。そして3つ目は、家族を頼むよ、とのことでした。私は、そのことを聞いただけでも、うれしく心が安らぎました。
 夫とのことは、“この世で一番相応しいひとにめぐり合うことができた”と、今は本当にそう思えます
 
*1 シーミー(清明祭)
 旧暦の3月の清明の節に行われる、沖縄伝統の先祖供養の行事。親戚縁者が墓に集まり、沖縄伝統料理を重箱に詰めて供え、祈りが済むと、みんなで食べながら近況を報告しあったり、三味線を奏でたり、伝統舞踊を踊る。
 シーミーは一族の絆の確認の場でもあり、それだけに沖縄は墓を大事にしている。

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