夫が死の淵から生還する

タグ:

アメリカ  N・Nさん(69歳、女性)

〔夫の救急入院〕

 2008年11月ごろから夫(77歳)は風邪気味で疲れているようでした。11月の末、急に熱が高くなり、翌12月1日には体が動かせない状態になりました。ちょうど友人が見舞いに来ていて「救急車を呼んだ方がいい」と言うので、電話で呼び近くのM病院に運ばれました。
 救急救命室で医師からレジオネラ症と脱水状態にあると診断され、入院することになりました。その時熱も40度あり、敗血症も併発しているとのことでした。
 私は、ロサンゼルスの近くに住む長男、ニューヨークに住む二男たち家族に電話をして状態を伝えました。二男が見舞いに来た12月4日のことです。夫は二男とおしゃべりをしている時、急に息が苦しいと医師に訴え、酸素マスクをつけてもらいました。しかし数時間後には、人工呼吸器が挿入され、両肺の肺炎と診断されました。それから一週間ほど昏睡状態に陥りました。
 M病院では、集中治療室でも悪化してきている夫の病状に対処できないとのことで、12月10日に大学病院の集中治療室に移されました。この時、M病院の医師から夫の命については覚悟するように言われ、私の心は沈んでいきました。

〔「次は蘇生措置を取らない方がいい」〕

 転院して2週間ほど経った2008年の年末、医師が私たち家族と話をしたいというので、息子2人と親友1人と私の4人が出席しました。説明をしてくれたのは終末期の患者の苦痛を和らげる処置を専門にしている医師でした。夫は転院後に心臓が1度止まったこともあり、「この次に心臓が止まった時には、蘇生処置は取らない方がいいでしょう」と言われました。私たち家族は同意しませんでした。長男は「父はまだまだ生きようとする力と願いがある」と言いました。この時、夫の意識はない状態でしたが、それは強い麻酔薬のためだと思っていたのです。
 年が明け2009年を迎えましたが、夫の状態は、良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。人工呼吸器が取れて酸素マスクになり、意識が戻ったと思ったら、院内感染で高熱が出て弱ってしまい人工呼吸器に逆戻りというように、3歩進んで2歩下がるというようなことが何度もありました。2月の中旬ごろには、再び医師から「これ以上は良くならない。しかし最期までケアはするから、心の準備はしておくように」とも言われました。

〔二男のコメント〕

 母から父の状態を聞いた時は、それほどひどいとは思っていませんでしたが、病院に行った時、かなり症状が進んでいることが分かり、大変心配しました。
 私も母と一緒に一日中夜遅くまで父に付き添いました。その間、父の姉やすぐ上の姉、そしてMOAのスタッフやメンバーが、次から次と見舞いに来てくださり、ベッドに横になっている父に、岡田式浄化療法を施術してくれました。父は昏睡状態で意識はありませんでしたが、浄化療法を受けている父の血圧、脈拍、体温が変化して、正常値に近づいていることがモニターの数値に現れることがあり、とても驚きました。
 “浄化療法を施術することで父を助けられるのなら”と、私自身も施術資格を得て、実践したいと思いました。母に、MOAのスタッフへ連絡をとってもらい、12月7日にその願いを果たすことができました。
 それからは毎日病院に通って、6~8時間継続して主に腎臓と肺を施術しました。父を死なせてはいけないという気持ちだけではなく、生死は天にまかせて、自分のベストを尽くしたいと思いました。
 カイロプラクターの兄(Nさんの長男)も浄化療法による効果を感じたのか、自らも役に立ちたいと、3月20日に施術資格を取得し、父に浄化療法を施術するようになりました。

〔回復の兆し〕

 夫の病状は何回も進んだり戻ったりしていましたが、3月はじめごろから大分落ち着いてきました。集中治療室の看護師たちも夫がまだ生きていることに驚いているようでした。
 大学病院の集中治療室にいられる期間はとっくに超えていたため、転院を余儀なくされ、3月13日に家からすぐ近くにある病院に転院しました。
 この病院に移って1ヶ月ほど治療を続けると、日中は呼吸器なしで過ごせるようになり、午前、午後とベッドの上で、理学療法士の理学療法が始まりました。この3ヶ月、長い間ベッドの上で寝たきりの状態だった夫の筋力はなく、体重も15キロ程減っていたので、最初は全く力が入りませんでした。
 それでも理学療法を繰り返し、4月の半ばごろからベッドから起きてのリハビリができるようになりました。以前の夫の状態を見ていた看護師たちは、その順調な回復ぶりに驚くとともに、喜んでくれました。
 6月1日にリハビリセンターへ移りました。歩行器を使って歩く訓練を前の病院でも行っていましたが、このリハビリセンターに来てからは、庭に出て、歩行器を使いながら屋外で2~3時間ほど日光浴もできるようになりました。まだお腹にチューブをつけたままですが、流動食も口からとることができるようになりました。

〔帰宅〕

 約8ヶ月間、3つの病院とリハビリセンターでの入院生活を経て、7月25日、夫は久しぶりに家に帰ることができました。
 二男は、この8ヶ月の入院の間、ずっとロサンゼルスにいて、父親の看護と浄化療法を、毎日欠かさず施術してくれました。帰宅後も夫が新しい環境に馴れるようにいろいろ助けてくれました。病院で理学療法士に習った運動を家でも続けて訓練をしてくれたり、8月16日にニューヨークに帰るまで、毎日体力作りのために夫を散歩に連れて行ってくれました。
 二男の帰った後も、MOAのスタッフや健康生活ネットワークの方々が交替でお見舞いに来てくださり、浄化療法を続けてくださいました。
 私は、夫の長い病院生活では、何度も期待と失望の繰り返しを経験しました。入院中は、医師からから3回も「覚悟するように」と言われましたが、二人の息子のほかにMOAのスタッフや健康生活ネットワークの方々の日々の浄化療法、友人たちの励ましや食事の差し入れなどが、私の大きな支えとなりました。感謝に耐えません。
 夫が何回もの危機を乗り越えてこられたのは、進歩したテクノロジーを使った西洋医学に助けられた事実もありますが、浄化療法の力も夫に働いたとも思えます。
 日々長い時間夫のそばについていて、症状が悪化した時に浄化療法を施術すると変化がありました。私自身も、不安な気持ちで過ごす中、毎日必ず、家族やMOAスタッフ、健康生活ネットワークの方々から浄化療法が受けられたことで、心が慰められました。
 今日、夫が朝起きて、自分で歩いてトイレに行ったり、玄関の戸を開けて新聞を取りに行ったり、コンピューターを使ったり、Sudoku(数独)やパズルで遊んでいる姿を見ると、本当にみなさんのお蔭と感謝で一杯です。

〔Nさんのホームドクター・W医師のコメント〕

 ご主人の発病時期から入院後の経過は、奥さんから報告を受けていました。2008年12月末、集中治療室にいるご主人のお見舞いに行きました。人工呼吸器に依存しており、衰弱した状態の彼を見て心配しました。長期間人工呼吸器に依存すればするほど、人工呼吸器から離れることの可能性が低くなるからです。
 3月に再び、お見舞いに行くと、人工呼吸器のチューブは付いたままでしたが、以前と比べるとずっと元気になっていました。そして、ついにご主人が帰宅できたことを知った8月、家を訪問しました。私は、リビングに置かれたホスピタルベッドでくつろいでいるご主人の姿を見て驚きました。集中治療室にいる時は記憶がとぎれがちでしたが、全体的に見た記憶力や精神力は衰えていませんでした。彼の体力は以前と比べればかなり弱っていましたが、家の中で動き回ったり、身の回りのことについては不自由していませんでした。
 私は浄化療法を施術した後、散歩に誘いました。杖を使って歩いているご主人の後ろから、用心のために、車いすを押して付き添いましたが、3ブロックほど歩いても車いすを使わなくて済むほどでした。
 ご主人が、何回もの危機を乗り越えて、ここまで回復したことは、奇蹟としか思えません。それは、高度な医学によるケアもさることながら、浄化療法なしでは、このような奇蹟的な結果は得られなかったと確信しますし、浄化療法の絶対的なエネルギーによる癒しの力が、彼の人生において明らかに証明されたことと信じています。

あわせて読みたいコーナー

PAGETOP