右足首の三果骨折の体験

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東京都  S・Mさん(56歳、女性)

〔右足首の骨折〕

 平成19年8月31日の夜のことです。家に帰ってきた私は、家の中のお花をいけ替えようと思い、花材を切りに庭に出ました。ちょうど百日紅(さるすべり)が綺麗に咲き始めていたので、お隣の家との間にあるフェンスに登り、枝を切りました。その瞬間、バランスを崩してしまいました。とっさに枝をつかんだのですが、百日紅は折れてしまい、体勢が崩れたまま地面に落ちてしまいました。
 痛みはそれほどなかったので起き上がろうとすると、右足首がおかしな方向に向いていました。“これはいけない!”と思い、向きを直そうと足首を持つと、くるぶしはグニャっとした感触で、骨が砕けているようでした。とりあえずリビングまで這って移動し、間もなくして夫が帰ってきましたので、夫の運転で病院へ向いました。
 診察の結果、右足の両くるぶしと腓骨を骨折した「三果骨折」で、靭帯も損傷している重傷でした。手術が必要とのことで、入院を余儀なくされました。
 診察した医師からは「手術をすれば、歩けるようにはなるけど、元通りというわけにはいかないと思います。正座は難しいでしょう」と言われました。足首は複雑な動きをするので、後遺症が残る可能性があるとの見解でした。
 平成15年から、武者小路千家の先生に埼玉から出稽古していただいているので、私は“正座ができなくなったらどうしよう”という不安や“これまでなのかな”という残念な思いがありました。

〔ネットワークの方々の温かさに触れて〕

 手術は5日後と決まりました。お産以外では初めての入院でした。プレートと針金で骨折箇所を固定する手術が行われ、術後2日目からリハビリを始めることになりました。
 私は骨折をした日、地域のMOA健康生活ネットワークのみなさんに電話をして状況を説明しました。すると、みなさんが連絡を取り合ってくださったのでしょう。次の日からたくさんの方が毎日お見舞いに来られ、励ましとともに浄化療法を施術してくださいました。
 私は入院中の出来事を書き残していますが、38日間の入院で、多くの方々が来てくださりました。みなさんから人を思いやる気持ち、優しさ、心の温かさがひしひしと伝わってきて、私は人生の宝物をいただいたと思いました。

〔入院することで知った子どもたちの優しさや性格〕

 突然、私が入院して家を留守にしてしまったことで、家族には本当に迷惑をかけました。しかし、家族は私の入院後、特に話し合って決めるわけでもなく、それぞれが自分のできることを考えて家事を分担してくれるようになりました。
 病院にも入れ替わり見舞いに来てくれましたが、その中で大きな発見がありました。
 私は、長男(27歳)は性格からしてよく見舞いに来てくれると思っていました。でも、なかなか見舞いに来てくれませんでした。入院5日目にようやく来ました。そのころは、足を吊り上げられ、ベッドから動けない状態で精神的につらかっただけに、私は長男に向かって厭味を込めて「やっと来たんだ」と言いました。すると長男は「買い物をして、また後で来るよ」と出て行ってしまいました。しばらくしてから見舞いに来てくださっていたみなさんのためのお菓子と、「暇だろうから」と私に本を買ってきてくれたのです。見舞いに来ている人のために、私の代わりにお菓子を買いに行くという行動から長男の思いやりを知ることができました。
 一方、次男(24歳)は家族には割と淡々とした子なので、あまり見舞いに来ないと思っていました。しかし、長男よりも頻繁に、彼女を連れて週に2~3回は来てくれました。しかも、彼女を待たせて最低でも30分ほど浄化療法を施術してくれました。これにはビックリしました。
 次女は大学のサークルがある中でもしっかりと家事をこなし、病院にもよく来てくれました。嫁いでいる長女は週末になると熱海から来てくれて、次女の支えになってくれました。
 私は正直、今回のわが子の行動を予想できませんでした。そういう子どもたちの一面を知れたということだけでも、怪我をしてよかったと思いました。こんなことでもなければ、それぞれの優しさや性格を深く知ることができなかったかもしれません。
 その子どもたちが異口同音に言ったのは、「一番頑張っているのはお義父さんだよ」でした。私は家族に支えられている喜びをかみしめました。

〔正座ができるようになる〕

 私の足は重傷でしたが、入院している間、一度も激しい痛みを感じることはありませんでした。10月に入ると、担当の医師から「家からリハビリに通っても良いですよ」と言われ、約1ヶ月ぶりにわが家に帰れることになりました。
 退院してからしばらくは松葉杖が必要な状態でしたので、家事は思うようにできませんでしたが、家族が入院中に担当していた家事を引き続きやってくれました。病院へのリハビリも毎週、息子たちが送迎をしてくれました。家族のこうした介助のおかげもあり、リハビリは12月6日で終え、何とか歩けるまでに回復しました。
 リハビリを終えたころです。和室に行った時、ふと正座ができそうな気がしました。恐る恐る正座をしてみると、痛みもなくお尻にかかとがつきそうなぐらいまで正座ができました。嬉しくて、それから徐々に座る練習をしていきました。
 今年2月にはもっと嬉しい出来事がありました。退院して、12月からお茶のお稽古を再開したのですが、お稽古は足の使い方が独特なので自信がなく、私はしばらく見学させていただいていました。それがお稽古の時に、何とかできそうな気がしたので参加してみると、無事に正座ができお点前をすることができました。その時は“できた~凄い!”と喜びが込み上げてきました。定期健診でこの状況を担当の医師に伝えると驚いておられました。

〔家族の健康に対する意識が変わる〕

 退院してきてから夫が「健康って素晴らしいね」と言うようになりました。家族はこれまで入院したこともなく元気そのものだったので、健康に対する意識が薄かったのです。ところが、私の骨折によって健康の大切さ、日々健康で過ごせることのありがたさに気づけたのです。家族が元気に暮らしていることが当たり前ではなく、感謝で受け止められるようになりました。そして、骨折以来、家族間でも積極的に浄化療法をするようになりました。
 また、退院してリハビリに取り組んでいた平成19年11月、少し動きが取れるようになってきた時のことです。携帯電話に夫から「出かけるお母さんより、家にいるお母さんが良いです」とメールが届きました。これは、とても衝撃的でした。
 というのも、私は怪我をする前はいろいろと忙しく、いつも手帳のスケジュール欄は予定が書かれた文字で真っ黒に埋め尽くされていました。
 このメールは、夫や家族が長い間ずっと思い続けながらも言えなかった一言、メールだから言えた本音だと思いました。
 家族が私に何を望んでいるのかを考えさせられました。私は、以前は週末でも家にいるということはなかったのですが、このメールを受け取って、もっと夫や家族と一緒に過ごす時間を大切にしていこうと決意しました。
 また、地域の活動のことについても考え、今回の骨折の経験を活かした取り組みをしようと思いました。それは「浄化療法を受けたい時に受けられる場所づくり」です。私は入院期間中、近所にいつでも浄化療法を受けられる場所があればいいなと思いました。今すぐに毎日という訳にはいかないですけれど、まずは週に1日でも自らの家で、浄化療法を求めてくる人を受け入れて癒してあげる日をつくろうと考えました。それが地域の癒し、健康増進につながると思ったからです。

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