香川県 K・Rさん(23歳、女性)
〔頭痛・肩こりから始まった体調の異変が続き、実家に戻る〕
小さい時から大きな病気もなく成長した私は、病気とは無縁な人間でした。小学校から高校まで無欠席で、12ヶ年皆勤賞をもらいました。
2004年に高校を卒業して大阪の専門学校に通うようになりました。学業の合間には飲食店などでアルバイトを行いました。
体に大きな変化があったのは2005年の夏ごろでした。肩こりがひどく、週に一度接骨院に通っていました。でも肩こりをそれほど深刻に考えたことはありませんでした。
ある日ひどい頭痛がして、それが一週間ぐらい続き、それから倦怠感に悩まされるようになりました。首筋から頭にかけての痛み、眩暈、またひどい時には頭がのぼせているような感覚になり、熱があるのかなと計ってみると、35度を下回るほど体温が下がっていることもありました。
病院に行って検査を受けたところ、融合椎という頚椎の一番動かす箇所が繋がった状態になっており、首の前屈や後屈、回旋などを行なう際に、それを補う周辺の筋肉に負担がかかり、炎症を起こしやすいと言われました。脳のCTも撮りましたが、脳に異常は見られませんでした。また神経や血管の圧迫の状態を調べるためにMRIも撮影しましたが、異常はありませんでした。
体に不安はありましたが、2005年11月に船舶会社での事務のアルバイトをはじめ、2006年に学校卒業とともに正社員として採用されました。仕事に就いてから症状は一層ひどくなり、睡眠障害が出てきました。夜になっても体の緊張がとけず、首筋が凝って眠れません。横になると目の前がチカチカしたり、眩暈でクラクラします。
心療内科を受診し、医師から仕事の合間にストレッチをするなど日常的に運動をよくすることをアドバイスされ、精神安定剤を服用して寝るようにしました。
しかし、体調はいっこうに良くなりませんでした。2007年11月、ついに体がギブアップのサインを出し、仕事を辞めて実家に帰ってきました。
〔Kさんに浄化療法を施術してもらう〕
実家に帰ってからも地元の総合病院で詳しい検査を受けましたが異常は見られず、接骨院に週に2~3回通いましたが、効果はその時だけで、一向に良くなりません。夜眠れないので精神安定剤を服用して睡眠に入りますが、起きるのは昼12時ごろで、食欲もなく、身体中が痛くて、椅子に座っていてもボーッとして、テレビを観ることも、本を読むこともできませんでした。運転も段差やカーブで車体が揺れると頭が痛くなり、気分が悪くなりました。家事もできず、一日中、布団の中か、マッサージチェアの上で生活していました。こんな状態でしたので、仕事はおろか日常生活もまともに送れない自分が情けなくて、“なんでこんな体にならなければならないの”と自分の運命を恨みました。
そんな状態にあった2008年7月、Kさんに出会い、初めて浄化療法を受けました。母が,以前同じ職場に勤めていたKさんと、高松からの帰りの船で偶然乗り合わせ、私が体調を崩して実家に帰ってきていることを伝えたことが始まりです。Kさんから浄化療法のことを聞いた母が、「娘に受けさせてみたい」と依頼したとのことでした。
私は母から話を聞いて、不安がありましたが、ほかに良い方法も浮かびませんし、可能性があることは何でもしてみようという気持ちでした。
Kさんに、初めて浄化療法を施術してもらいましたが、「こんなことをするだけで、ほんまに体が良くなるのかな」と半信半疑でした。当時の私は1時間とまともに座ることができませんでした。座ると尾てい骨から頭の先まで痛みが走っていたからです。また、横になると頭が痛み、横向きで寝ようものなら眩暈と痛みで耐えられませんでした。
初めての浄化療法はこれといって変化はありませんでしたが、何をするにも一回では結果は出ないと思っていましたし、なによりもKさんとお会いして、信頼できる方だと感じるものがあったので、継続して受けてみることにしました。
〔うれしい体調の変化〕
数回受けるうちに、浄化療法を受けている間は痛みが走り、その夜は少しつらいけれど、翌日目が覚めた時には体が楽になってきました。
トイレに行く回数が増え、気がつけば長い間お世話になっていた精神安定剤も手放し、自然に眠れるようになっていました。困難だった横向きで寝ることも、知らず知らずのうちにできるようになっていました。
7月~9月にかけてはカチカチに固まっていた体が、痛みを伴いながら、少しずつやわらかくなっていくように感じました。
座って居られる時間も徐々に2時間、3時間と延びて、休憩を入れて4~5時間も座れるようになってきました。
食欲も少しずつ戻ってきました。Kさんから「食べ物から体が作られるのだから、穀類や野菜や魚を中心にした日本型の食事が大切だ」というアドバイスがありました。それで、食事はできるだけ抜かないようして、野菜中心を心がけています。私は魚が苦手で以前は全然食べなかったのですが、今ではスーパーで魚を買うようになりました。MOAの自然食にも興味を持ち、いろいろ試しています。
家事は、一日に一つ(例えば洗濯のみ)が精一杯でしたが、今では朝起きて妹を高校へ送っていき、洗濯機を回して、布団を干し、夕方には妹を迎えに行って、買い物を済ませ、夕飯を作るぐらいまでになりました。
体調が悪くて何もできない日もありますが、自分の身体が変わってきていることを何よりも嬉しく思います。
10月2日、小さいころから私を可愛がってくれた祖母の体調が悪化し、亡くなりました。大好きなおばあちゃんだったので、すごく悲しかったけれど、それ以上に、脳梗塞で倒れてからの10年間をベッドの上で過ごし、時にはつらそうにしていた姿をみていたので、“おばあちゃんもこれで楽になれたのではないか”と思いました。不思議なことに、祖母が亡くなってから私の気持ちは前向きになり、それに伴って体も楽になってきました。私は、亡くなった祖母が見守ってくれているのだと思いました。
〔人の幸せを願える生き方へ〕
2009年1月にT市のMOAのみなさんとお会いしました。今まで、周囲から見た目よりも自分の体はしんどいということをなかなか理解してもらえず、自分の殻に閉じこもっていましたが、みなさんには話を聞いてもらえ、アドバイスをくれる人たちに出会え、とても嬉しかったです。また、今まで自分のことばかり考えていましたが、痛みを抱えているのは私だけではないのだということがよく分かりました。
実家のある島でも、MOAのみなさんが私のことを気にかけてくれるのです。みなさんに会っていると、元気と生きる力を与えてもらえます。私のこのたびの体験や、その都度思ってきたことを聞いてもらった時は、みなさん一緒に泣いてくれたのです。それをきっかけに一人じゃないのだと自分に自信がついて、すごく前向きになれました。
体を悪くしてから人と話すことができなくなっていたのが、殻を破ることができました。もっと自分の気持ちや体験したことをオープンにして、人のために何かしていきたいと思うようになりました。
そして、人のために浄化療法を施術したいと思いました。KさんからはMOAに入会してロケットを身につければ浄化療法ができると聞いていましたが、仕事に就くことができず、生活の面倒を親にみてもらっており、わずかであっても親に金銭的に迷惑をかけられないと考えていました。しかし、Kさんに「お父さんやお母さんだって、Rちゃんの病気と真剣に向き合って行かなあかんのやで」と言われて、私は両親に相談することにしました。両親はあっさり承諾してくれて、「お前の行きたい道を進めばいいんだよ」と言ってくれました。
実家に帰ってきてからの私に、両親はいろいろ聞いてくるわけでもなく、やっぱり“親でも私の苦しみは分からないのかな”とか、“そこまで心配していないのかな”と思っていました。そうではなく、実はとても心配してはいるものの、私のために何をすればよいか分からなかったということが理解できて、今は両親に感謝の気持ちでいっぱいです。
浄化療法は週2日くらい受けていますが、自分でも施術したり、母や妹にもしています。母は「浄化療法ができるのなら、してもらおうか」と言ってくるのです。Kさんから浄化療法を受けた時は、私もKさんに施術をするようにしています。また妹も時々Kさんのところに一緒に行って、浄化療法を受けています。
この数年間体調不良に悩まされ続け、“自分は役に立たない人間だ”とか“生きていてもしょうがない”と本気で考えたこともありましたが、自分の体と向き合うことでたくさんのことを学んだように思います。
中でもKさんとの出会いは大きく、私の宝物です。私のために自由な時間を割いて何十回と浄化療法をしてくれ、身になる話しをしてくれたり、つらい時は一緒に泣いてくれて、私の駄目なところは本気で怒ってくれる・・・。
私はこの人に出会っていなかったら、今ごろどうなっていたのだろうと思います。ずっと後ろ向きで、前に進めていなかったんじゃないかと思います。
今まで健康で生活することが、当たり前と思っていましたが、人間が生きていく上で、一番重要で最も尊いものは健康だと気づきました。病気の人を助けたいという純粋な思いを無駄にしないためにも、自分に負けずに頑張っていこうと思います。