大腸ガンの方の緩和ケアに取り組んで

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石川県  F・Sさん(61歳、女性)

〔Aさんとの出会い〕

 Aさんは平成9年ごろにお向かいに引っ越して来られました。町内会行事にはあまり出られない方でしたので、会った時には軽く挨拶をしたり、マスクをしている時があれば「風邪でもひいたの?」と声をかける程度のお付き合いでした。
 平成17年ごろ、Aさんと会った時に調子が悪そうでしたので、「どうしたの?」と聞きました。Aさんは「ちょっと更年期で・・・」と言われたのですが、顔色も悪く、以前よりも痩せきているようで気になっていました。
 平成18年9月26日でした。家の近所でAさんと久々に会うことができました。体調のことなどいろいろお話をしていると、Aさんは「今、とってもつらいんです。今までは自分のつらさを誰にも話す気になれなかったけど、何となくあなたに聞いて欲しい気持ちになったの。あなたの所に行ってもいい?」と聞かれたので、「じゃぁ、後でいらっしゃい」と答えました。
 間もなくして、Aさんはわが家に来られ、体の状態について話してくださいました。Aさんは平成17年に大腸にガンがあることが分かったそうです。ただ、以前、姑さんが病気で入院した時、薬の副作用でひどい後遺症が残り大変な苦労をされたそうです。そのため、Aさんは「薬ほど恐いものはない。お医者さんには行きたくないの」と言われました。

〔Aさんが私に相談してくれた理由〕

 今まで誰にも相談できなかったのに、なぜ私に相談をしてきたのかが、Aさんから話を聞いて分かりました。
 私は平成17年3月25日に夫を肝臓ガンで亡くしました。平成16年の春にガンが見つかり1年の闘病生活ののち亡くなってしまいました。
 でも、私はそれほど悲しむことはありませんでした。1年ほどの闘病生活の中で、夫のために精一杯尽くすことができました。一生懸命看病している中でそういう思いが伝わったのでしょうか。亡くなる数ヶ月前から、夫は「長い間ありがとうな、良くしてくれてありがとうな」と言ってくれました。私は「何を言っているの。治らなきゃ駄目よ。治すために頑張っているんだから」と励ましました。夫は「でも、ワシはもう駄目だから。長い間ありがとう」と言うのです。それ以来、夫は亡くなるまで、ことあるごとに何度も何度も「ありがとう」と言っていました。「いいよ、分かったわよ」と止めるまで言い続けていました。意識が朦朧としてきた最期の時でも、「ありがとうな」と言い続けていました。そして、最期は安らかな顔で息を引き取りました。
 看取りがしっかりできたと思います。ですから、亡くなった後も私の心は落ち着いていました。“お父さんが亡くなってしまったのだから、自分がしっかりしていかないと”と思うことができて、自分の中に節みたいなものができた感じがありました。
 私がこのような体験をしていたので、Aさんが私に相談をしてきたのだと思います。また、私もAさんの気持ちをしっかり受け止めることができました。

〔毎日浄化療法を受けたAさん〕

 心も体もつらそうなAさんの助けになりたくて、自分なりに精一杯のことをさせていただきたいと思いました。私は、岡田式健康法のことを説明して、浄化療法でAさんを癒してあげたいと伝えました。Aさんから「是非私にして欲しい」とお願いされましたので、さっそく休憩を挟みながら2時間半ほどさせていただきました。
 終わるとAさんは「何か体がすごく軽くなった。凄いわ!これ」と驚いておられました。Aさんは「続けて受けたい」と言われ、毎日のようにわが家に来られ、2時間ほど受けていかれました。一緒に住んでいる娘家族も協力してくれて、特に娘は、仕事が休みの日には一緒に浄化療法を施術してくれました。
 Aさんには、岡田先生のことも伝え、健康についての本を紹介しました。すると、Aさんは「その内容を読んで欲しい、聞かせて欲しい」と言われました。それから私は、Aさんが来るたびに岡田先生の本を読みました。時には、Aさんは「私にぴったりやわ。毎日聞くのが楽しみやわ」と話されました。また、Aさんは食事について「別に食べなくてもいいわ」と言われていたのですが、「ここで食べることの大切さを教えてもらった」と言って、それからは食事をしっかり摂るように心がけられたようです。
 私はよく電話をして「ご飯食べた?」と聞いていました。すると、だいたい「まだ」と言われるので、好きな煮物とかをたくさん作って持っていきました。Aさんは体調が悪い時でも「そうやね。食べないかん」と言って、頑張って食べておられました。
 浄化療法の施術を始めてから2ヶ月ほど経った時のことです。大腸ガンの影響なのか、Aさんのお腹に腫れ物が出てきました。腫れ物は日に日に大きくなり、ある日、トイレに行った時に破けてしまったと、電話がありました。腫れ物から膿のようなものが出たらしいのです。しかし、その日からAさんは「すごく体が楽になった。食欲も出てきて、しっかり食べられるようになった」と言っておられました。
 ガンですから、いろいろつらいこともあったようですが、浄化療法を受けるようになってから、Aさんの表情は明るくなって、笑顔も増えたように思います。また、Aさんはよく感謝をする人で「今日この日を感謝、みんなに感謝」「まずFさんに感謝」と言っていました。“ガンでありながら、全てのことに感謝をするなんて、なんて素晴らしい人なのだろう”と思いました。
 また、「もし去年だったら、私は毎日浄化療法を受けることはできなかったわね」と言われたことがありました。確かに、Aさんは平成17年にガンであることが分かった時、私もAさんの様子が気になってはいましたが、夫の看病をしていた時期ですので、実際、相談を受けても対応できなかったはずです。ですから、Aさんが私に相談した時期がちょうど上手く合っていて、不思議だなと思っています。

〔Aさんのご主人が浄化療法の資格を取る〕

 浄化療法を始めて3ヶ月経った平成18年12月、「Fさん、どんなのをしているの?」とAさんからMOAロケットのことを聞かれました。見せると「素敵だね」と言われたので、私はMOA会員のこと、浄化療法の療法士の資格のことを紹介しました。するとAさんは「入る!入る!そうすれば、お父さんから、夜とかのつらい時に、いつでも浄化療法を受けることができる」と言われました。
 Aさんが私の家に通うようになったころ、ご主人はインターネットでMOAのことを調べておられ、「すごいところだ」と言われていたそうです。また、浄化療法を受け続ける中で、Aさんの食欲が出てきたり、明るく話す姿を見ていたので、平成18年12月26日に夫婦でMOA会員になられました。
 以来、Aさんはご主人からも浄化療法を受けられるようになりました。家庭の中でもできるようになったので、私は浄化療法の施術をそれまでの毎日から、週に3回ほど、させていただくことになりました。

〔末期症状の中で〕

 しかし、Aさんは次第に衰弱していかれ、平成19年6月ごろ、容態が急変して排泄ができなくなってしまったので病院で診察を受けられました。その結果、人工肛門をつける必要があると診断され、手術のために入院されました。
 この時、ご主人は「担当医から妻の余命はあまり長くないと伝えられました」と私に教えてくれました。
 私もAさんの様子からそう感じるところはありました。もちろん治って欲しいとも願っていましたが、それが難しいならば、せめて、1日でも長く家族の方と一緒に過ごせるように私にできることをさせていただきたいと思いました。
 手術もあったので、入院してしばらくはAさんの見舞いには行けませんでした。すると、ある日、ご主人が訪ねて来られて「Fさん、浄化療法をお願いね」と言って、私に50枚つづりになっているタクシーチケットを2冊渡してくれました。私は「娘の車で連れていってもらうから」と返そうとしたのですが、「娘さんにまで迷惑をかけては悪いから、タクシーで来てください」とお願いされました。
 しかも、私に来てもらうためにと近い病院を選んだとのことでした。私は「奥さんのいいと思った病院に入院されたらいいのに。私はどこにでも行かせていただくから」と言いましたが、「妻がどうしてもFさんの家が見える場所の病院じゃないと駄目と言ったんだ」とのことで、そのために、家から車で10分ほどの病院に決めたと伺いました。
 また、Aさんに浄化療法の施術をしている時、「病気が治ったら、あなたと2人でこれからMOAの素晴らしいところを1人でも多くの人に伝えていこうね。頑張っていこうね」、「私はあなたのためだったらどこでも行くからね」と言ってくださいました。
 本当にありがたい言葉でした。

〔Aさんの死〕

 Aさんの手術は無事終了し、1ヶ月ほど経った平成19年8月に退院されましたが、10月にはとうとう歩けなくなってしまい、10日に再び入院することになりました。
 入院して3日目のことでした。ご主人から電話があり、「妻がFさんを呼んでと言っているから来て欲しい」とのことでした。私はすぐに病院に行きました。9時ごろに病院へ着くと、Aさんは私に抱きついてきて「嬉しい、嬉しい」と言ってくれました。
 お昼ご飯は出されたものを全部食べていましたし、話しぶりもあまり変わらず、元気そうに見えました。私は「今日は町内の祭りだよ。後で赤飯とか持ってこようか?」と聞くと「うん、持ってきて。食べるから」とお願いされました。昼過ぎに私は病院を出て、町内の行事に参加していましたが、その夕方、Aさんは亡くなられました。
 病院の担当医は分かっていたようで、入院当初からAさんのご家族は呼ばれていました。息子さんが3人いらっしゃるのですが、10月13日の夕方、ご主人と息子さんたちが見守る中、いつ逝ったか分からないほど眠るように亡くなられたそうです。担当医が「こんな人初めてだ。痛みもなく眠るように、楽に亡くなられた人は見たことがない」と言っておられたそうです。
 私は、午前中のAさんの元気そうな様子を見ていただけに、その日に亡くなられるとは思ってもおらず、びっくりしました。連絡を受けて急いで病院に駆け付けると、ご主人から「本当にありがとうね」と言われました。

〔Aさんと過ごした1年間を振り返って〕

 Aさんと1年間お付き合いさせていただいた中で、私にとって一番良かったのはAさんの家族から感謝されたということです。ご主人、息子さんたちは浄化療法にとても感謝をされていました。Aさんがご家族にその素晴らしさを伝えていたこともあると思いますが、理屈ではなく、目の前で母親が明るい性格に戻ったり、時には元気そうに振る舞う姿を見て感じられたのだと思います。
 葬儀を終えた後、Aさんのご主人とお会いすることがありました。その時ご主人は、「できると思うことは全部したから何にも悔いは残ってない」と話されました。私は、「残念だったけど、これからは奥さんが霊界から見守ってくれると思いますよ」と言うと、ご主人は「そうですね」と言ってくださいました。
 私は、夫の死を通して私自身成長させてもらいましたが、今回のことも含め、人間のいのちの尊さを伝えていくことの大切さを痛感させられました。
 現在、娘と一緒に住んでいて小学生の孫が2人いますが、私は孫たちに夫の闘病生活の様子を見せました。夫の死を通して、人間の命とはこういうものだ、老いていくとはこういうものだということを感じて欲しいと思ったのです。孫たちはそれなりに、しっかりと感じ取ってくれたと思います。
 生や死が軽んじられているような現代社会の様子を伺う時、やはり、家でも病院でも、看病する様子、亡くなった時、葬式までの行程も全部見せて、体験させて、人間の死というものを、命の大切さをというものをしっかりと教えていかないといけないと、今回の体験を通して強く感じました。

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