うつ病が安定して良くなる

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埼玉県  M・Tさん(54歳、女性)

〔うつ病になる〕

 平成11年、夫の勤めていた会社が倒産しました。それからの5年間、夫はアルバイトをしていましたが、定職に就くことができず、私はパートの仕事を掛け持ちして家計を支えてきました。
 私は20代の時に甲状腺手術をして以来、いつも体の不調を感じていましたが、さらに仕事の掛け持ち、寒い職場での仕事と、肉体的にもう限界という感がありました。
 さらに、夫の失業のことや、自分もパート先で“いつリストラになるか”という不安やストレスがありました。
 平成14年の秋、仕事中、精神的に不安定になり、急に喉がカラカラになってしまい、病院に行きました。医師からはうつ病と診断され、驚きとともに一気に気分が落ち込んでしまいました。
 生活は一転して何もやれなくなりました。受診後すぐに“私は病気なんだ、寝てなきゃならない”と思い込んでしまい、翌日から寝込んでしまったのです。
 仕事はすぐに辞めることになりました。
 体は動かず、脳だけが起きているような状態で、テレビやラジオなどがついていても興味が湧いてきませんでした。何かを考えるという気力もなくなり、意識はあるが、“喜怒哀楽が出てこない”という感じでした。居ても立ってもいられないような、どこにも身の置きどころがないような不安感だけがありました。
 1ヶ月寝込む日が続くと1週間位は気分のよい日があり、それを繰り返していました。気分のよいときは “家に閉じこもってばかりいては駄目だ、人と触れ合うことが必要だ”と思って外に出て行くこともありました。ある時、公民館に刺繍の講座を受けに行き、入ることにしたものの、1週間後には寝込むことになり、やめてしまいました。
 毎週1回、継続して病院に通いましたが、気分の落ち込みがひどくなりました。診察に行くたびに薬も変わり、服薬してもなんら変化を感じませんでした。今考えると、そのことを担当医に訴えるべきだったと思いますが、控え室で待っている間、“今日は医師に何を言えばいいのだろう”と、医師に会うこと自体がストレスになっていました。躁(そう)と鬱(うつ)の状態を繰り返している生活が4~5年は続いたと思います。

〔光輪花クラブを習う〕

 平成18年1月、お隣のWさんから、「お花の教室をやっているので、来ませんか」とお誘いを受けました。お花ならと興味が沸き、「お隣なら少々具合が悪くても大丈夫かな」と思い、一度体験してみて、続けるか止めるか決めようと考えました。
 お花の教室は光輪花クラブという名前でした。教えておられる先生と生徒さん4人の総勢5人でした。何よりもみなさんが気を使ってくださって、必要以上は話かけてこられませんでした。この時期、人と話をすること、気を使うことがとにかくつらかったので、その気遣いはありがたかったです。
 最初にテキストで学びがあったようですが、頭がボーッとして、よく理解できませんでした。しかし、気持ちが楽だったからでしょうか、花を選び、花器を選び、いけることが楽しいと感じました。私は光輪花クラブを続けることにしました。
 続けるうちに月1回行なわれる光輪花クラブがとても待ち遠しくなりました。お花をいけた後、ワークショップという時間があり、みなさんと一緒にお茶をいただくのも楽しみでした。当時、何を見ても、何を聞いても、感情が湧かない私でしたが、次第に花を見て美しいというような気持ちが湧いてきました。
 家に花を持ち帰ると、夫や娘たちからは「今日はなんの花?」と話しかけてくれ、早速花をいけて飾ると、家族からとても喜ばれました。私はそれがうれしくて、なんだか張り合いが出てきました。夫はその花を見て絵手紙を書いてくれました。その絵手紙に私が文章を書いて両親に送るなど、夫と共有した喜びも生まれてきました。

〔浄化療法の施術とボランティア活動への参加〕

 光輪花クラブを習い始めて半年経った6月のことでした。ワークショップの時間に、お茶をいただきながら、雑談をしていましたら、岡田式健康法の話題になり、私は浄化療法を受けてみました。穏やかな雰囲気の中で、施術してもらうと気分がスッキリしてきました。
 その後、Wさんのお宅で、週3回のペースで浄化療法を受けました。始めは時間もどれだけかかるのかなあと思ったり、時間を約束するのが負担だったりと、不安も多くありました。
 しばらく続けていると、娘たちから「ちょっと元気になったね」と言われるようになり、うれしくなりました。家族は、私が浄化療法を受けて、徐々に元気になっていると感じているようで、とても喜んでいることを知りました。
 Wさんと一緒に「MOAインターナショナル埼玉」に行きましたが、入りやすい所だなと思いました。特に迎え花がステキで、音楽も流れていてリラックスすることができました。
 スタッフに時間を取っていただき、お話を聞いてもらい、その後、浄化療法を受けました。ここで過ごすひとときは、私にとってとても心癒される時間となりました。
 スタッフから、「人と社会に尽くす生き方が大切ですよ」ということを聞き、いつもよくしてもらっているので、何かお返ししたいという気持ちも働いて、MOAのみなさんと一緒にボランティアに参加してみました。
 食育のイベントをするというので、チラシを配るお手伝いをしましたが、不思議と足が軽く体調も良いのです。やりがいをもってできました。当日は公民館で、ピザづくりをしましたが、私は講師をさせてもらいました。児童作品展のボランティアもしました。

〔心の健康を取り戻す〕

 浄化療法、光輪花クラブ、ボランティアなどを続けているうちに、だんだんとうつ状態の期間が短くなってきて、落ち込む回数が減ってきました。
 平成19年6月ごろには、安定して家事もできるようになりました。友人からは「顔色がいいわよ」「元気になったね」とか、家族からも「お母さん変わったね」と言われ、とてもうれしく感じています。
 母は膝の痛みで20年以上悩んでいましたが、近くに住んでいながら行けなかったことが、いつも私の心に引っかかっていました。私は元気になってきたので、自転車に乗って母の所に行き、母と昼ごはんを作って食べたり、庭をきれいにしたり、買い物も行ってあげることができるようになりました。
 担当医から「健康になりましたね。安定してよくなりました。この状態を維持していきましょう」と言われました。暮れには、病院で処方される抗うつ剤が減りました。家族も「よかったね」と喜んでくれました。

〔母に浄化療法を施術して〕

 次第に元気になっていく中で、今度は自分のまわりの人にも浄化療法をやってみたいと思い、7月にMOAに入会しました。
 この日、Wさんも一緒に来てくれて「MOAインターナショナル埼玉」での入会後に、簡単な説明や浄化療法の仕方を学びました。
 1月ごろから、膝の激しい痛みを訴える母に浄化療法をして親孝行したいと思いましたが、一人では不安がありました。すると、Wさんが「一緒に行きましょうか」と言ってくださったので、早速2人で母のところに行って浄化療法を施術しました。
 平成19年11月から浄化療法の3級資格講座に参加しています。自分が施術をしても効果があることがわかりましたし、少し自信もついてきました。
 今では週1回、Wさん、Aさんと3人で母の所へ行って、浄化療法を施術しています。母の喜ぶ顔を見ることが何よりもうれしく思いますし、みなさんとご一緒することで、探査や施術について勉強になることが多くあります。
 今まで、いろいろと力になってくださった健康生活ネットワークのみなさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。「MOAインターナショナル埼玉」でお会いすると、どなたも必ず声をかけてくださり、うれしく思います。みなさんが、私のことで親身になってくださるのが、心に伝わってくるのです。
 MOA会員に冊子「楽園」が毎月届けられますが、私はこれを楽しみにしています。届くと、その日のうちに読んでしまいます。内容が素晴らしいこともありますが、本を読むだけの集中力や根気が蘇ってきたことがうれしいのです。
 この10年間、家族には本当に心配させ、迷惑もいっぱいかけてきました。私たち夫婦には3人の娘がいますが、私が寝込んでいる間は、家事はすべて娘たちがやってくれました。昼間も不安でたまらなく、一人でいられなかったので、娘の一人は必ずいてもらうなど、本当に家族の協力がなければ一日も無事に過ごすことはできませんでした。夫も娘も、どれだけ私に気を配ってくれたことでしょうか。家族の支えがなければ、ここまで改善することはなかったと思い、感謝しています。
 こんな日が来るとは夢にも思いませんでした。

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