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手術後の高次脳機能障害の苦しみから解放されて

2010.12.23

愛知県  H・Sさん(54歳、女性)

 

〔脳腫瘍の手術〕

 平成15年12月9日、私は脳腫瘍の摘出手術を受けました。
 その1~2年前ころから、頻繁に頭が痛くなり、視力も衰え、常に37.2℃前後の微熱が続き、よく物忘れをするようになっていました。でも“それは更年期のせい”と軽く考えていました。
 医師の勧めもあり総合病院を受診したところ、そのまま入院となりました。MRI検査では、腫瘍は大きく5cmを超え、浮腫は左脳の半分以上に増大し、すぐに手術をしないと危険な状態とのことでした。私は後に続く主治医の声も届かず、戸惑い、うろたえ、ただ涙が止まりませんでした。
 手術は約10時間に及び、脳の腫れと出血がひどく、「腫れ止めの点滴を大量に使用し、800ml輸血をした」と、後日、主治医から伺いました。加えて、腫瘍は全摘できず、わずかに残ったため、「5年後にはまた手術が必要かもしれません」とも告げられました。
 再手術の不安を抱えながらも、とにかく命の危険は免れ、大きな麻痺や傷害もなく、さらに細胞診断の結果、腫瘍は良性だったことが分かり、安堵しました。

 

〔手術後の高次脳機能障害の苦しみ〕

 術後は主治医も目を見張るほどに順調に回復し、翌年2月1日、退院となりました。
4月下旬の外来で、脳外科のMRI検査を受け、医師から「残存していた腫瘍が消失しています」と驚くべき結果が告げられました。夫と手を取りあって喜んだことを今でも忘れません。残っていた腫瘍が消失し、再手術の可能性も薄らいだのだから、あとは順調な回復を心がけるだけ、頑張れば明るい明日が待っていると思っていました。
 でも、そうではなかったのです。未知の苦痛や悲しみ、不安が次々と襲ってきて、耐え難いほどの試練と挫折を強いられました。
 その一つは、軽度の高次脳機能障害があったことでした。高次脳機能障害とは、脳損傷によって起こる神経心理的症状で、例えば、記憶、認知、感情、言語に支障をきたすというものです。
 中でも私の場合は、感情のコントロールができず、突然キレて手当たり次第に夫に物を投げつけたりするのです。気分の落ち込みが激しく、悲しみに襲われて泣き出したり、部屋の片づけを始めても、途中でどうしていいのか分からなくなり、部屋中に物が散乱し、料理をしては鍋を焦がしたりと、症状は多岐にわたりました。
 今までできていたことができなくなってしまった焦り、本意ではない感情の暴走とその後の自己嫌悪、精神の混乱と体中の痛みが重なり、私は精神不安に陥って、次第に眠れなくなっていきました。
 もう一つは、それまでキャリアを積み上げてきたコピーライター(コマーシャルのキャッチフレーズや文章を考える広告の文案家)という仕事を、廃業せざるをえないかも知れないという危惧でした。この不安を脳外科部長に伝えると、「普通に生活をしていく上では何の問題もないけれど、言葉を扱う仕事をしていくには、かなり不利だと思います」と告げられました。言葉のプロとしては致命的です。
 3つ目は、10数年打ち込んできた書道ができなくなるという不安でした。私の父は書道家で、志半ばで他界しました。その意思を受け継いだ書道でしたが、手術後、肩・肘・手首などの関節各所が激しく痛んで、筆が持てなくなりました。
 そのころの私は、フライパンさえ持てず、アイロンをかけることも、水道の蛇口をひねることも、ドアノブを回すことも、階段を降りることさえ、人に手を貸してもらわなければ難しくなっていました。

 

〔病気の連鎖、再発への不安〕

 脳腫瘍の術後1年半が過ぎた平成17年夏ごろ、再び頭痛が激しくなり、検査したところ脳室内に2つ腫瘍が新たに見つかりました。そのショックもつかの間、先ほどの書道の筆が持てなくなるほど関節各所が痛み、リウマチ初期段階と診断されました。加えて、婦人科で卵巣のう腫を発症していると診断され、さらに、原因不明の蕁麻疹や腰椎分離症による腰痛も表れてきました。
 小児科と泌尿器科以外はほぼすべて受診という、まさに満身創痍の状態に陥り、目の前には各科で処方された薬が山のようにあるだけでした。
 その後も卵巣ガンの疑い、さらに全身の痛みは繊維筋痛症(身体の広範囲に痛みがおこる病気)と診断され、平成20年には左耳が突然聞こえなくなり、突発性難聴でN市の障害者認定に一時期ですが登録されました。
 脳腫瘍に関わる高額な医療費、そのうえに次々起こる諸症状の検査・診療費。また、仕事を休まざるをえない状況での収入の減少、夫の仕事への影響。
 家計が破綻しかねない状態の中で、「こんなに頑張っているのに、なぜつらいことばかりが続くのか」と、何も見えない暗闇の中で必死に光を捜していました。

 

〔療院や健康生活ネットワークで徹底して浄化療法を受ける〕

 このような中にあって、私の心身を支え続けてくれたのは療院MOA健康生活ネットワークであり、浄化療法を中心とした岡田式健康法でした。
 入院中は主治医の了解のもとで、健康生活ネットワークのみなさんから浄化療法を受けました。そのおかげで発熱や激痛に苦しむこともなく、退院することができました。退院した翌月から、名古屋療院へ休診日以外はほぼ毎日通うという生活を日課とし、休診日は近隣の健康生活ネットワークの方から、家庭では夫から浄化療法を受けました。
 私が本当に苦しい時や心身ともに疲れきってしまったような時でも、名古屋療院を訪れると、スタッフやボランティアのみなさんが、やさしく接してくださり、自分の居所がここにあるという安心感に浸れるのです。
 療院のクリニック部門を担当しておられるO医師からは私の精神的、スピリチュアルな部分までも理解されて、専門的な視点からアドバイスをしていただきました。高次脳機能障害が発症した時にO医師に相談しましたら、「そういうのは押し殺さずに泣きたいだけ泣けばいいよ。療院では誰もおかしな人と思わないから泣いたらいいよ」と温かくおっしゃってくださり、診察中もよく泣いたことがありました。専任療法士も私の症状をよく理解してくださり、安心して感情を表に出すことができました。さらに常に私の症状を岡田先生の本や浄化療法テキストで一緒に確認していただくことができました。それが安心感になり、毎日のように通う動機にもなりましたし、いつの日か必ず良くなるのだという前向きな気持ちをはぐくんでくれました。
 また、東京療院クリニック部門のK医師が研究発表された高次脳機能障害の症例を見せていただきました。症例の中に記載されていた患者さんの主訴と私の自覚症状が一致しており、この症例に基づいて探査箇所を設定してもらって浄化療法を受けました。東京療院には機能障害のことを理解してもらえる医師がおられるという安心感から、最初は母に付き添ってもらって受診し、その後3~4ヶ月に1回のペースで入院しました。

 

〔病気が教えてくれた療院の素晴らしさ〕

 こうして、MOAや療院スタッフの方々、ボランティアの療法士の方々、本当に多くのみなさんから、たくさん浄化療法をいただき、心身ともに癒されて、種々の症状は改善されていきました。
 脳室内で見つかった2つの腫瘍はMRIの画像診断による主治医の判断では「水泡」ではないかということで、年1回の定期検査(MRI)で様子を確認しておりますが、そのまま経過をみていくことで良いと診断されました。リウマチ、卵巣ガンの疑い、繊維筋痛症も経過観察で良いことになり、突発性難聴は現在完治しています。原因不明の蕁麻疹も症状は年々軽くなっており、脊椎分離症による腰痛も、多少の痛みは残っていますが、普通に生活ができるまでに回復しています。
 高次脳機能障害からくる感情の混乱も今はほとんどなく、夫や家族とも穏やかに過ごせるようになりました。もちろん、仕事も書道も、今は元気に取り組んでいます。一番つらい時、夫は暴れる私をたしなめ、辛抱強く見守ってくれました。私を受け入れて、支え続けてくれた夫の存在がなければ、今の私はありませんでした。夫には、心から感謝しています。
 平成21年より名古屋療院や健康生活ネットワークの場で、療法士のボランティアをさせていただいています。何より大好きな名古屋療院で、療法士の資質向上を目指して、ボランティアできることは大きな喜びとなっています。